「子どもの日」 と男女差別
5月 5日は「子どもの日」で休みだった。元々は「端午の節句」で、男の子の節句である。一方、言うまでもなく、女の子の節句は 3月 3日の「桃の節句」だ。
私は子どもの頃、男の子の節句の方が「子どもの日」と定められていることに、かなり納得のいかない気分だった。
といっても、「カブトムシのオスがメスより高く売られているのは、男女差別」などと、お門違いなことにまでクレームをつけたがるフェミニストのように、「子ども」といえば「男の子」と捉えるのは男女差別であるとして憤慨していたわけではない。
話はまったく逆で、「元々は男の子の節句なのに、女の子まで一緒くたに祝うのは許せん!」と、幼年期的マチョイズムで憤っていたのである。「桃の節句では、男の子は何の恩恵にも浴さないのに、端午の節句では、女の子が勝手に尻馬に乗っている!」
先頃の「国民性調査」で、「今の日本では、男より女の方が楽しみが多い」と考える人が 42%に達し、「男の方が多い」の 38%を上回った。さもありなん。私は子どもながらに、今日の日本の姿を予見していたのである。
表面的に捉えれば、男の子の節句と女の子の節句があるのに、男の子の節句だけを「子どもの日」として「国民の祝日」とするのは、確かに男女差別の臭いがプンプンする。フェミニストがどうしてこれをもっと問題にしないのか、不思議なほどだ。
しかし実際には、「反・子どもの日」などというキャンペーンが張られているのを見たことがない。それは多分、女の子は桃の節句でしっかりと祝ってもらい、さらに端午の節句でちゃっかりと尻馬に乗ることを享受してきたからだ。
だいいち、5月 5日が国民の祝日から外れたりしたら、ゴールデンウィークが成立しなくなるので、海外旅行大好きな OL たちだって困る。同性を敵に回すような運動は、フェミニズム進展にとっても得策ではない。
日本の女は、こうして「男より楽しみが多い」ことを当然として成長してきたわけである。制度的な男女差別と、深層における女の恩恵。このあたりをきちんと考察しないと、フェミニズム運動は表面的なものに終わるだろう。
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