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2004年5月29日

著作権制度の構造

Winny の作者逮捕の衝撃は、既に薄れてきているようだ。逮捕直後は「コピー機を発明した人は逮捕されていない」とか、いろんな議論があって面白かったが。

結局、今回の逮捕は、「47氏」が現状の著作権のあり方に、明確に反旗を翻していたのがいけなかったようなのだ。

ソレを言うなら、著作権のあり方については、私だって大いに反旗を翻したい。これまでにも、何度かそれについて述べてもいる。しかし、私は P2P のファイル交換ソフトを開発しない(できない)。だから、逮捕もされていない。

今回の「47氏」も、コピー機の発明者のように、プログラムだけ作って、放り出しておくだけだったら、逮捕されなかったかもしれない。著作権制度への疑問を述べるのは、別の誰かに任せておけばよかった。

著作権が今日のように保護されなければならないのは、作品の制作に金がかかりすぎるからでもある。私が 「和歌ログ」 で毎日詠んでいる歌は、制作費はほとんどただみたいなものだから、「クリエイティブ・コモンズ」のライセンスにより、他人によるコンテンツ使用を惜しげもなく認めている。ただ、使用に当たっては作者である私の名前をクレジットして、名誉 (大した名誉ではないが) さえ保証してくれればそれでいい。

しかし、例えばハリウッド映画などになると、ただでコピーされるのは大変な問題だ。なにしろ、制作には莫大な金がかかっているのだから。その莫大な制作費のかなりの部分は、出演者に支払うギャラである。トップスターのギャラは、とてつもなく高い。

何故にそんなに高いのかというと、そのスターの出演により、映画のヒットが保証されるという幻想があるからである。それはほとんど 「幻想」 なのだが、世の中の構造がその幻想に支えられているために、幻想のくせに結構うまく機能する。(世の中自体が「幻想」みたいなところがあるから)

例えば、野球で言えば、イチローの打率は、他の平均的打者よりもほんの 7~8分高いに過ぎない。要するに、7~8%の差である。しかし、彼の年俸は平均的プレイヤーの 2倍にも 3倍にもなる。ほんの 7~8%の差に対する報酬が、200%にも 300%にもなるのである。

野球に限らず、映画においてもこうした「幻想」に支えられて、制作費はどんどんふくらむ。キアヌ・リーブズでなくても、その辺の新人でも、「マトリックス」 は面白い映画になったかもしれない。しかし、制作者は主演俳優にキアヌ・リーブズを選ぶ。そして、高いギャラをはずむ。

我々の模索すべき道の一つは、キアヌ・リーブズを使わなくても、大がかりな撮影セットを使わなくても、ものすごい CG 技術を使わなくても、それでも面白いコンテンツを作ることである。想像力とちょっとしたコンピュータ技術があれば、可能なはずだ。"Alternative Art" というのは、こういうものであるべきだと思う。

 

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