「好意」 というものの難しさ
先日の義母の法事で、久しぶりに親類縁者が多く集まったので、私がたまたま持っていたデジカメで、記念写真を撮ろうということになった。
寺に付随した会館の仲居さんが、シャッターを押してくれるという。せっかくの好意なので、ありがたくお願いした。
全員並んで、「はい、チーズ」などとお約束を言っていたのだが、その仲居さん、こう言ってはなんだが、シャッターを押すのが下手くそで、どうも手ブレを起こしているようなのである。というより、彼女はシャッターを押すときにカメラが上下すると手ブレという現象が起きるという事実に、まったく無頓着のようなのである。
好意でシャッターを押してくれているので、法事の席で皆が和やかに集まっているという場所柄もあり、文句も言いにくく、「目をつむってしまった」ということにして撮り直してもらったのだが、その度にカメラを持つ両手が明らかに上下している。
こうなると大変だ。なんだかんだ適当なことを言い、照明を全部点けてそれでもフラッシュがたかれるようにセットしてシャッタースピードを上げ、5~6回以上撮り直してもらったのだが、後で確認したら、最後の 1枚だけがどうにかこうにか見られる出来だった。
あの仲居さんは、いかにも自然に「シャッター押しましょうか」と申し出てくれた。ということは、我々に対してだけでなく、他の客にも、しょっちゅうそうしたサービスをしているのだろう。
私の場合は手ブレに気付いて、しつこく何度も撮り直してもらって、なんとかなったが、そうでない場合は、1~2回の撮影だけで終わり、後でできあがった写真をみてがっかりしているケースも多いだろうと想像された。
好意を提供する場合は、少なくとも後でがっかりさせない程度の技量を身につけておく必要がある。そうでないと、自分ではサービスをしたつもりでも、結果として相手を失望させることになる。
そして、好意を受ける側もぼんやりしないで、後で失望することになるのを注意深く避けつつ、なおかつ相手の好意を無にしないような気の使い方までしなければならない。こうなると好意というのは、実は提供する方も受ける方も、大変なことである。処世の術というのは、なかなか難しいものだ。
今回のケースに限って言えば、日頃からシャッターを押してあげることをサービスの一環と心得ているならば、少なくとも手ブレを起こさない程度の練習はしておいていただきたいものである。そうでなければ、きつい言い方かもしれないが、余計なことはしないことだ。
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