選挙とバナー広告
ウェブサイトにおけるバナー広告は、役に立たないと言われて久しい。バナー広告の料金も、下がる一方だと言われる。
私自身も、ポータルサイトの "My Yahoo" の最上段にしつこく出てくる「借りたいその日にキャッシュワン」というバナーをクリックしたことなんて、一度もないし。
空しいまでに効果のあがらないものがもう一つある。それは、選挙の投票率アップのキャンペーンである。最近は、選挙前に何をどう言おうと、投票率は本当に悲しくなるほど低い。
これほどまでに「役に立たないキャンペーン」というのは、何か共通点があるに違いないと、ふと思ったのである。
これまで、選挙もバナー広告も、政治家の都合、広告主あるいはサイトの都合だけで運営されてきた。そこにはマーケティング的視点が欠落している。ちょっと乱暴だが、有権者とインターネット・ユーザーを、「顧客」 とい言葉でくくってみると、要するに「顧客志向」が欠けていたということがわかる。
これまで、選挙管理委員会は「投票しろ」と言ってきた。広告主は「クリックしろ」と言ってきた。その行為に十分に報いるほどの準備もせずに。
何となく、選挙もバナー広告も、他とは違った特別な物であるかのように振る舞ってきた。それがそもそもの間違いなのだ。一般の有権者、インターネット・ユーザーにしてみれば、どちらも「なくなったらちょっと困るけど、感覚的には邪魔くさいもの」でしかないのである。
「Wired News」 に、「消費者データをフル活用して浮動票を獲得 ― 米大統領選」という記事がある。米国の政治団体は、「マーケティング会社から消費者データを提供してもらい、まさに "マクドナルドがハンバーガーの売上を伸ばそうとするのと同じ手法" で、有権者の嗜好を理解しようとしている」という。
こんな言い方をすると、ちょっと安っぽく聞こえて抵抗があるかもしれないが、少なくとも、政治もサービス業であるという認識において、あってもおかしくない手法である。
バナー広告は、「ニーズに沿ったサイトに、ニーズに沿った商品の広告を」という当然のことが、ようやく理解されてきた。しかし政治の世界では、まだ「ニーズに沿った政策や商品(候補者)」が提示されていない。「自民がああ言えば、民主はこう言う」といったレベルの、「ユーザー無視」の「手前勝手」だけだから、「売れない」のは当たり前である。
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