« 「知の海」 50,000ヒット突破 | トップページ | 「温泉」 の話題 »

2004年8月12日

悟りの回数

一昨日「座禅和讃」について書いたので思い出したのだが、白隠禅師は「大悟十八回、小悟数知れず」と言ったという。

これに関して、「白隠禅師って、威張りたがりだったんだね」と言う人がいて、驚いたことがある。回数の多さを自慢していると受け取ったらしい。誤解も甚だしい。

悟りの回数なんてものは、いくら多くても自慢にはならない。一度でどんぴしゃりの悟りを得るのが、一番すごいことだからだ。回数が多いのは、悟ったと思っても、浅い悟りだったのだ。白隠禅師でさえそうだったわけだ。

「頓得の悟り」というものがある。突然訪れる悟りである。「頓得のにわか悟り」なんていう言い方もあるように、それで全てを悟ったと慢心しては、かえって修行の障りになる。

しかし、それを軽視してはいけないのであって、そのような「小悟 を積み重ねていくことにより、ある時、不意に大きな悟り「大悟」が訪れる。しかし、その「大悟」ですら、白隠禅師には 18回も訪れたわけだ。

段階的な修行を積み重ねていくことによる悟りは「漸得の悟り」という。一度きりの「頓得の悟り」で満足してしまってはならないのだ。

つまり、人間というものは、「俺も相当に悟ったな」なんてなことを思ったとしても、それはまだまだ初歩の段階に過ぎないということだ。「まだまだ修行が足りないな」ぐらいに思っていてちょうどいいのかもしれない。

その「修行」というのは、「この身即ち仏なり」という「即身成仏」を現すためのものなのだろう。ないものを求めるのではなく、本来の姿を現し出すということか。

tak-shonai の本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

|

« 「知の海」 50,000ヒット突破 | トップページ | 「温泉」 の話題 »

哲学・精神世界」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 悟りの回数:

« 「知の海」 50,000ヒット突破 | トップページ | 「温泉」 の話題 »