そば清
蕎麦のうまい季節がだんだん近づいてきた。この頃になると、雑誌は蕎麦の特集をし、家は蕎麦ネタの噺をする。
落語で蕎麦といえば「時蕎麦」が有名だが、これはどちらかといえば前座向けで、私のオススメは「そば清(そばせい)」という噺である。
これは「蕎麦っ食いの清さん」が主人公のお話で、なにしろ見事に蕎麦を食うのである。
「見ねェ、見事な食いっぷりだね。ありゃ、清さんが蕎麦を食うんじゃねぇ。蕎麦の方から清さんに食われるんだ」というほどのものである。
その清さんは、蕎麦を何枚食えるかの賭けをして、いつも 40枚ほどの盛りそばを食って勝ち逃げするのだが、それ以上食うのは、さすがに骨だ。ある時、信州を旅すると、道中ウワバミが人間を食ってしまうのを目撃する。
そのウワバミはさすがに人一人食うと腹が一杯で苦しそうなのだが、傍らに生えていた赤い草をぺろぺろっと舐めると、あっという間に消化してしまい、さっさと藪の中に消えてしまう。
清さん、「これはしめた」とその草を摘んで江戸に帰り、蕎麦食いの賭をする。途中で苦しくなったので席を外し、次の間でその草をぺろぺろっと舐めるのだが・・・。
いつまでも戻ってこない清さんを探しにきた連中が目にしたのは、蕎麦が羽織を着て座っている姿だった。
これは典型的な「考えオチ」で、実はあの草は消化剤ではなく、人間の体を溶かしてしまうものだったのだ。
江戸っ子の蕎麦っ食いは、蕎麦を喉ごしで食って噛まないため、蕎麦がそのまま羽織を着ているというのが、ちょっとすごいところだ。
この噺は、一昨年死んだ小さんが得意にしていたようだ。柳家の芸は写実を強調するから、小さんの蕎麦をすするところなんぞは、「これぞ落語」という感じだった。
「そば清」は、実は上方の落語「蛇含草」というのが元ネタで、オリジナルは蕎麦ではなく餅を食うというものらしいが、私はそっちの方はまだ聞いたことがない。なるほど、餅も噛まずにどんどん飲み込むのが「通」らしい。
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