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2004年10月25日

「地震」「英会話」「プラモデル」の三題噺

24日は所要で、朝から一日外出していたので、あまりテレビを見る暇もなかったが、帰宅してニュースをみると、地震の翌日の中越地方は目を覆うような惨状だ。
それどころか、台風 24号までがどう気が変わったのか、妙な急カーブを切って、日本列島の方に向かっている。

私は小学校 6年の時に新潟地震に遭っているので、それだけに、今回の中越地震に被災された方々には、本当に気の毒な思いがする。台風はどこに向かってもいいから、新潟にだけは影響を与えないようなコースを辿ってもらいたいものだ。

ニュースを聞くと、新潟地震からは 40年も経ってしまったのだという。そういえば、あの年もオリンピックがあったのだ。それも、東京オリンピックである。

今でも思い出すのは、新潟地震の恐ろしさもようやく忘れかかった夏休み明け、小学校に地震の「救援物資」が届いたのだった。間延びしたお話である。2か月も経ってから「救援物資」なんて言われても、きょとんとしてしまう。

それに、その 「救援物資」 の中身が冗談にもならないものだった。クラス別に分けられた大きな段ボール箱を開けると、中から現れたのは、薄汚い毛布、使い古したトランプ、得体の知れない古本、安っぽい湯飲みのセット、観光地のペナント、どこだかの方言の書かれた手拭い、武者小路実篤のナスビの色紙などなど、要りもしないガラクタばかりである。

いくら小学生でも、そんなガラクタをもらったところで、嬉しいはずもない。それでも、地震被害の慰問品だから、ありがたくもらえという。要するに、救援物資に名を借りた不要品処分である。

その時、私に押しつけられたのは、訳のわからないソノシートだった。ソノシートというのは、ペラペラの紙のようなプラスチックでできたレコード盤のようなものである。

家に帰って再生してみると、その年の秋に開催される東京オリンピックで高まっていた国際化熱に便乗した、英会話練習用教材だった。多分、誰かが買ってみたものの、すぐに諦めて放り出したのだろう。

それにしても、なんでそんなものを 「地震災害の救援物資」 として寄付しなければならないのだ。一体どんなセンスをしているのだ? それでもまぁ、ナスビの色紙なんてのよりはうれしかったが。

私はその教材の最初の 3フレーズを今でも覚えている。若い日本人の青年が街であった外国人女性に、英会話の練習のために話しかけるという想定で、こんなようなものだった。

"May I speak with you a little?" (少しあなたとお話ししてもいいですか?)
"Sure." (もちろんいいですよ)
"I'd like to practice English conversation." (私は英会話の練習をしたいのです)

とても洗練された発音で、スピードも無茶苦茶速く感じるナチュラル・スピード。今から思えば、その辺のレベルの低い教材とはわけが違っていた。実は掘り出し物だったのだ。

私が初めて外国人と英語で話したのは、中学校 3年の時、修学旅行で東京タワーに昇った時のことで、その時、アメリカ人のオバサンとの会話の最初の 3フレーズは、奇しくもこの通りに展開したのであった。それから妙に会話は弾み、そのオバサンは私のことを気に入ってしまったようで、後日、米国からプラモデルを送ってくれたのである。

世の中、何がどう幸いするかわかったものではない。

 

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コメント

最新の記事からリンクされていたので、こちらにコメント。

……「不要品処分」といい、英会話教材がそのまま生の会話に活かせたことといい、いろんな意味で、すごいの一言(笑)

投稿: 山辺響 | 2013年9月13日 15:19

山辺響 さん:

あの教材、かなりレベル高かったです。第一集だけしかなくて、それ以後の教材がなかったのが、今でも残念なほどです。

投稿: tak | 2013年9月13日 18:54

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