「ナイーブ」 であることの価値観
「あの人は、とてもナイーブだから・・・」 などと言うのを聞くと、思考回路が錯綜して、メモリーをちょっと余計に消費する。「誉めてるのかな? けなしてるのかな?」
日本語の会話では、90%以上「純粋無垢」という意味で誉めている場合が多いのだが、たまにそうでない場合もある。
帰国子女やアメリカ暮らしの長かった人などは、「あんなナイーブな人とは、とても一緒に暮らせないと思ったわ」なんて使い方をする。日本人は「ナイーブな人」には好印象を抱きがちだが、どうも価値観が逆のようなのである。
長い米国暮らしから帰国して、日本人の男を愛し、自然に一緒に暮らし始めた。すると、その男は自分の下着の在処もわからず、風呂上がりには新しい下着を用意しておくことを彼女に要求した。出張や旅行の際には、トラベルバッグに詰める洗面用具、衣類の用意まで自分ではできず、頼り切りだ。
「自分のことを自分でできないほど、ナイーブな人とは思わなかった」というのである。
英語の "naive" の語源はフランス語で「生まれたままの」というような意味だという。しかし、実際に使用される場合のニュアンスは、「子どもっぽい」とか「うぶな」とか「物を知らない」とか、とにかくあまりいい意味ではないことが圧倒的に多いと思う。
日本語と化した「ナイーブ」は「赤子の如き汚れなさ」といった、かなり良い意味である。英語とはずいぶんニュアンスが違う。しかし、「周囲のものが保護してあげなければならないような "あぶなっかしさ" をもつ存在」という意味では、本質的な違いはそれほど大きくはない。
違いは「ナイーブな存在そのもの」にあるのではなく、周囲の受け取り方にある。端的に言えば、「ナイーブな人」を暖かく見守りたがるのが日本であり、「付き合いきれないわ」と思うのが米国の価値観である。
「ナイーブな肌」を、「きめの細かいきれいな肌」と取るか、「ちょっとした刺激で荒れやすい手のかかる肌」と取るかの違いみたいなものといえば、わかりやすい。
ちなみに、私自身はとくに米国かぶれしているわけではないのだが、人をほめる時に「ナイーブ」という言葉を使うことには抵抗がある。単に、両極端のニュアンスのある「危ない言葉」は避けたいという意味で。
最後に付け加えよう。この違いは、赤子に「神」をみるか、赤子は教育して初めて「神」を理解できるようになる半人前の存在とみるか、この文化的違いかも知れないと思う。
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