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2004年10月 8日

世間話の怪しい新鮮さ

民俗学では、「世間話」というのは中世以後に出現したことになっている。諸国を渡り歩く遊行の民が語り伝えた話である。

つまり、中世以前は世の中に「世間」は存在しなかった。隣近所や集落程度では「世間」ではない。もうちょっと遠く、姿が曖昧になるあたりが「世間」である。

中世以前は、そうした「世間」というほどの距離は、普通の人々の暮らしの中であまり意識されなかった。人との付き合いは、隣近所、せいぜい集落単位に限られる。つまり、意識レベルが「世間」という距離感まで到達し得なかったのだ。

顔を見ただけでどこの誰だかわかるような範囲は、プリミティブな共同体である。「世間」というのは、そうした氏素性のはっきりした範囲ではない。

こちら側の常識がある程度通じるという意味では、まったくエイリアンの世界ではないのだが、わずかな差異の中に、突如意表をつかれる要素も潜在している。そうしたえもいわれぬ距離を保ったあたりが 「世間」 というものである。

共同体の外からやってきて、知らぬうちに去っていってしまうような、一種怪しいところのある人物が持ち来たってまことしやかに語ったのが、「世間話」の始まりである。だから、「世間話」 というのは、いつだって少々怪しい。現代の最も典型的な「世間話」は、「都市伝説」である。

手元に「庄内・酒田の世間話」(青弓社・刊) という本がある。酒田の郷土史家、佐藤公太郎氏の語りが収録されていて、新しい世間話では、昭和 51年の酒田大火の頃の話がある。

酒田大火の直前、家の周囲を「お稲荷様」(つまり狐 −市街地なのに)が走り回ったという話、腰巻きを振ると火を免れるという言い伝えを信じて、そこここで腰巻きを振った話、屋根の上に観音様が立って類焼を防いでくれたという話などが語られている。

とくに、屋根に観音様が立ったという話は迫力物で、「わだし、確かに見だ」というおかみさんが二人もいる。

佐藤氏が 「この話あっけ、本当ですが」と聞くと、「本当です。私方(わだしがだ) 見ましたもの。とでも危ねぇぐなて、家がら出はたば、そさ観音様立てましたけもの。屋根の上さ」と答えたという。

第一次オイルショックを経験して、高度成長期を終えようとしていた頃の話とは思われない。まさに中世の感性がそこにある。

「世間」というものは、いつも絶妙に怪しく、懐かしくも新鮮な距離感をキープして、我々の周囲に息づいている。

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