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2004年11月14日

「無明」と「罪」

仏法では 「知って犯す罪より、知らずに犯す罪の方が重い」 とされていることに関連して、私はこのコラムで 2度ほど書いている。(参照 1参照 2

私は 2度にわたって「知らないということ、そのこと自体が罪なのだ」と主張しているのだが、もう少し掘り下げてみよう。

このことについての、釈迦と弟子の問答は、次のようなものだったと伝えられる。

弟子 「知って犯した罪と知らずに犯した罪とでは、どちらが重いでしょうか?」

釈迦 「お前はどう思うか?」

弟子 「知って犯した罪の方が、悪いと知りながらやったのですから、重いに決まっています」

釈迦 「いや、知らずに犯した罪は、知って犯した罪の百倍も重い!」

弟子 「どうしてでございますか?」

釈迦 「知って犯した罪には自ずと限度がある。咎められれば反省し、悔い改めることもできる。しかし、知らずに犯す罪には限度というものがなく、咎められても、本人に悪いことをしている自覚がないから、反省に到らない。反省できなければ悔い改めることができず、際限なく罪を犯してしまう。無明 (むみょう = 煩悩に覆われて道理のわからない状態) ほど罪深いことはないのだ」

要するに、お釈迦様は「無明」が最大の罪だとおっしゃっている。「だってしかたないじゃない、知らなかったんだもの!」という言い訳は通用しないと説かれているのである。見ようによっては、非常に厳しい教えだ。

これを受け入れると次は、人間は「悟り」を得て「無明」から脱却するまでは罪深い存在なのかという疑問に突き当たる。キリスト教では「原罪」というコンセプトを重視している。人間は元々罪深いものであり、だからこそ、キリストによって救われなければならないということになる。

東洋的なコンセプトは少し違うように思われる。釈迦が「山川草木国土悉皆成仏」と言われたように、すべてのものは既に「仏性」を宿しているのである。悟って初めて仏になるのではなく、本来備えている内在の仏性を自覚することが「悟り」である。持ち合わせないものを外から持ってくるわけではない。

元々持ち合わせているものを自覚しないことが「無明」である。釈迦は理不尽なことを説いているわけではない。本来の姿に立ち返りさえすればいいだけなのに、それをしない怠惰が「罪」だというのである。

ならば、「本来の姿」とは何なのか? そこに立ち返るまでは「罪」から抜け出せないのか?

禅宗では、「ただ座ること、その座っている姿が、仏の姿なのだ」と教える。「無明」を否定すること、その心の方向性に、仏は宿る。「だって、仕方ないじゃない、知らなかったんだもの」と言うのではなく、「すべて己の責任である」と引き受ける心の方向性。そこに仏が宿る。

[H17.12.9 追記]

「本来の姿に立ち返る前の 『無明』 の状態」 を指して、キリスト教では 「原罪」 というのかもしれないな。

tak-shonai の本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

 

 

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コメント

そうですよね、すべての生物、とりわけ人間に仏性が備わっていると知れば、自他の命を大切にせざるをえませんよね。「神」の御名において、と前置きして、相手の命を奪う行為を繰り返す人たち、組織、国…本当に愚かに思います。宗教(神)を利用する為政者に動かされて蛮行を繰り返す人々が憐れで仕方ありません。

投稿: kuro-mama | 2004年11月14日 20:25

kuro-mama さん

>「神」の御名において、と前置きして、相手の命を奪う行為を繰り返す人たち、・・・(略)

あれらは、「神の御名において」ではなく、「己の欲望によって」ですね。

投稿: tak | 2004年11月15日 08:57

ふううううう~~~~~ん
すごおおおい!!
tak-shonaiさん
私はびっくりしました。
そうですか。
「私、知らなかったんですからぁ~~」と、
いつもいい訳をして暮らしてきました。
反省=!!
いろいろ勉強になります。
ありがとうございました。

投稿: 朱鷺子 | 2012年1月11日 18:45

朱鷺子 さん:

「だって仕方ないじゃない、知らなかったんだもの」という言い訳が当たり前に通用する世界では、無知な者の方が大いばりして、訳知りの者の方がその尻ぬぐいに苦労するという構図になってしまいます。

これは、実はそこら中で見かける構図です。

無明の人というのは、知らずに犯した罪だけでなく、自分でやらかした失敗を他人に尻ぬぐいさせて平気でいるという罪まで犯していることになります。

投稿: tak | 2012年1月11日 21:04

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