見世物小屋というもの
今ではほとんど見られなくなってしまったが、昭和40年代までは「見世物小屋」というものがあった。
酒田の山王祭りでも、日和山公園のグランドに、木下大サーカスや、射的などに混じって、オドロオドロしい看板と口上の見世物小屋が、いつも興行していた。
その看板には蛇女やろくろ首などが描かれ、「親の因果が子に呪い」式の口上がとても怪しげで、尽きない興味をそそられた。しかし、子どもの頃とて、親に頼んでも「あんな小屋に入ったら、さらわれて朝鮮に連れて行かれる」みたいなことを言われ、決して見せてもらえなかった。
ついにその小屋の中に足を踏み入れる時が来たのは、昭和40年代の末頃だったと思う。浅草の浅草寺裏手の見世物小屋に、私は大学の悪友 H と共に入ってみたのだった。
その内容はあまりのばかばかしさに、しかとは憶えていないのだが、何でも「へび女」系のお話だったと思うのである。小屋の前の怪しいオッサンの口上によると、蛇のお姉さんが、大蛇を体に巻き付け、ラッタラッタ踊るというのである。そして、何が美味いのか、その蛇を頭から手当たり次第に食ってしまうというようなことであった。
小屋に向かって左側の入り口から、ワクワクした思いで入ると、中は何本かの丸太を横に渡して仕切った観客席があった。席とは言っても、座る席があるわけではない。すべて土間と板敷きの立ち見である。
前方の舞台上手にはどういうわけか炬燵がおいてあり、どてらを着たばあさんと娘(といっても 30歳以上に見える)が、愛想も何もなく、その炬燵にあたって茶をすすっている。舞台と言うより、ほとんど「楽屋」である。
外の看板と口上は十分に非日常的な妖しさだが、中身は「怪しい」というよりは、単に「日常の貧相さが行きすぎて、たまたま非日常になった」という類の風情なのだった。
さっぱり要領を得ないで、横に渡された丸太に寄りかかっていると、一応ベルがちりちりと鳴ったような気がした。しかし、ベルは鳴っても、ばあさんと娘は何を始めるわけでもない。しばらく重苦しい空気が流れる。
さんざんじらされた挙げ句、ようやく安っぽい音楽が鳴り出し、おっくうそうに立ち上がった娘が、なにやら踊り始めた。踊りと言っても、あっちを向いたりこっちを向いたり、かったるそうに手を上下させたりするだけである。見ている方は、それ以上にかったるい。
そのうち、ふところあたりから、小さな蛇らしきものを取り出して、首に巻いて見せた。その肝心のところだけ、ちょっとした早業である。生きた本物の蛇なのか、おもちゃなのか、しかとは見届けられないようになっている。そのあたりで、ばあさんが立ち上がってきて、娘の肩をちょんちょんと叩いたような振りをみせて、それで終わりである。
本当に、それで終わりである。
あとは、「今、目の前で起きたのは、一体何だったのだ」と思いながら、入ってきた方とは反対側の出口からぞろぞろと表に出るだけだ。ただ、「一体何だったのだ」とは思うが、脱力のあまり、それを深く追求する気にさせないというあたりが、「芸の力」といえば言えるのだった。
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