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2005年1月 1日

常夜の長鳴鳥 - 予祝の思想

災害ばかり多かった気のする平成 16年はあれよあれよという間に暮れて、平成 17年酉年になってしまった。

古事記には 「常夜の長鳴鳥 (とこよのながなきどり)」 という鶏が出てくる。真っ暗になった高天原の天の岩屋戸の前で高らかに鳴き、天照大神の再臨を促した。

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古事記の記述は、以下のようになっている。

ここを以ちて八百萬の神、天安の河原に神集ひ集ひて、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)の子、思金神(おもいかねのかみ)に思はしめ、常夜の長鳴鳥を集めて鳴かしめて、(中略)天宇受賣命(あめのうずめのみこと)、天の香具山の天の日影(ひかげ)を手次(たすき)に繋けて、天の眞拆(まさき)をかづらとして、天の香山の小竹葉(ささば)を手草に結(ゆ)ひて天の石屋戸に桶伏せて蹈(ふ)みとどろこし、神懸りして、胸乳を掛き出で裳緒(もひも)をほとに忍(お)し垂れき。爾に高天の原動(とよ)みて、八百萬の神共に咲(わら)ひき。

有名なアメノウズメノミコトの踊りに先立ち、「常夜の長鳴鳥」を集めて高らかに鳴かせ、高天原の夜がまだ明けぬ間に夜明けを告げさせたのである。

神社の入り口にあるゲートを「鳥居」というところからみても、どうも「鳥」(この場合、鶏)は、「この世」と「この世ならぬ世」を行き来する特別な存在であり、さらに「結界」を司る能力があるとみられていたようなのである。夜と朝の結界を鳴いて知らせるのも、そうした力ということのようだ。

だから、「常夜の長鳴鳥を集めて鳴かしめ」たというのは、闇が消え、再び光が満ちることをストーリー付けるという意味があったわけだ。

日本には「予祝」という伝統がある。よい結果が現れるに先だって、予め祝っておくのである。田植えの前に豊作を喜ぶ祭りをしてしまうのはそれである。最近のニュースでは「豊作を祈願する祭」などと紹介するが、「祈願」というより、先取りして祝っているのである。

そこには、「喜ぶ心」が「良き結果」をもたらすという直観がある。村上和雄氏の「遺伝子をスイッチオンするのは、ポジティブな想念」という主張につながる。(参照

暗いことの多かった平成 16年を終えた今、まず悦んでおこうと思うのである。年賀状にもそれを書いた。

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