「サムシング・グレート」の人格性
つくば市で行われた「笑いと健康 Part 3」というイベントに行ってきた。
(財)国際科学振興財団「心と遺伝子研究会」主催、吉本興業共催で、あの "ぼんち" の漫才と、「サムシング・グレート」の本家本元、村上和雄筑波大名誉教授の講演によるコラボレーションである。
村上氏の研究については、私は以前から注目していて、昨年の今頃も「つくばサイエンス・アカデミー」主催の「科学者・技術者がサムシング・グレートを感じるとき」というセミナーに参加して、簡単な所感を書いている。(参照)
村上氏は 10月に ダライ・ラマ の主催した「仏教と科学者の対話」というイベントに参加してこられたそうで、とても感動的な時を過ごされたという。
今回のイベントでは、いつも主張しておられる「眠っている遺伝子のスイッチを "オン" にする」ということに関して、"ぼんち" の漫才でさんざん笑い転げた人たちの健康状態が、どのように変わっているかをモニターするという目的もあったわけである。
村上氏は、普通の状態ではほんの 3%程度しか働いていない遺伝子情報をトータルに活性化させるのは、笑い、喜び、感動などの 「ポジティブな想念」(良いストレス)であるという仮説を主張してこられた。しかし今回は、その仮説の発展形態ともいえるお話をされたのである。
あの北朝鮮拉致問題で注目される横田めぐみさんの母、横田早紀江さんに会われた時の経験について村上氏は言及され、その中で、早紀江さんがあれほどの「ネガティブなストレス」の強い状態に長年さらされながら、人間として素晴らしい輝きを発揮する活動をされているという事実に注目している。これは、これまでの仮説では説明できないとして、「ネガティブなストレスを乗り越えたときの素晴らしさ」ということまで想定しようとしている。
これは注目すべきことである。自分自身は不幸な状態でありながら、それを真っ向から受け止めて、社会のために活動するとき、人は素晴らしく輝きを増す。人間は我欲を超越してより大きなもののために尽くすときにこそ、最もよい状態で遺伝子が活性化するのかもしれない。
もし、人間の遺伝子情報がそのように設計されているのだとしたら、その設計者である「サムシング・グレート」は、単なる自然法則というよりは、キリストの説く「愛」の心をもった、ある種人格的なまでの存在というメタファーで語ることもできよう。
つまり、それは「神」にほかならない。しかも、全ての生きとし生けるものの遺伝子の中に、完全なコピーとして内在するかもしれない神である。そのような神なら、信じる価値があるだろう。
私は「山川草木国土悉皆成仏」(すべてのものが、成仏している = 仏である)と喝破した釈迦の悟りを想起する。
「サムシング・グレート」の法則性に注目するのが科学であり、人格性に注目するのが宗教と言えるかも知れないではないか。私は科学と宗教とはそんなに遠いものではないと思っている。
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コメント
記事読みました。
私は頭が良くないので記事全部を理解できませんでしたが、興味深い考察に刺激を受けました・・
私が思うに、目を設計した方は見ることが出来、耳を設計した方なら聞くことが出来る。愛する能力を持つ人間を設計したなら、その方はまた愛する能力を持っている。 人間の設計者は単なる偉大な叡智とか存在「物」ではなくて、「人格的な存在者」だと思います。
それと、人間に意思伝達能力を付与したなら、その方が人類に意思を伝達することもされるのでは、と考えています。
投稿: k_9 | 2010年9月 4日 01:20
k_9 さん:
>人間の設計者は単なる偉大な叡智とか存在「物」ではなくて、「人格的な存在者」だと思います。
私は「存在者」というより 「超越者」 と思っています。
投稿: tak | 2010年9月 4日 10:50