地吹雪が思い出される
昨日は日曜だというのに、終日屋内に閉じこもって仕事をしていたので、そんなに気温が上がったとは知らなかった。
昼過ぎまでは、エアコンの暖房のおかげで暖かいのだと思っていたが、ふと気付くと、20度に設定したエアコンは、ほとんど作動していないのだった。
関東の内陸部では軒並み夏日になったが、一方で、北海道ではドカ雪になったところが多かったらしい。「知のヴァーリトゥード」 で相互リンクさせてもらっている「おはよう富良野」の BBS でも、雪かきで疲れ果てたと書かれている。
雪国はご苦労なことである。多分、たっぷり湿気を含んだ雪だったのではなかろうか。
雪と言えば、高校時代まで過ごした酒田のことが思い出される。酒田の雪は深く積もることは滅多にないのだが、地吹雪が凄い。いや、地球温暖化の時節柄、今はどうだか知らないが、少なくとも 30年前は凄かったのである。
酒田の雪は上から降るのではなく、下から、横から吹き付けるのである。だから、雪に関する動詞は「降る」というより「吹く」という方がしっくりきた。
学校に行くにしても、一寸先の見えない地吹雪の朝が、一冬に何度かあった。通い慣れた道なので、勘を頼りに前のめりになって一歩一歩進んでいくと、目の前にぼうっと学校のシルエットが現れるのである。関東の都会であんな状態になったら、迷わず休校になっているだろう。
すきま風の吹き込むオンボロ校舎だったので、机の上に うっすらと雪が積もっている。その雪をかき落として、ストーブに火を付ける。昔の酒田の子どもは、学校に早く着いたものが、自主的に教室のだるまストーブに火を入れていた。だから、子どもでも火付けは上手だった。というか、それができなかったら、寒くて凍えてしまうから、自然上手になるのである。
新聞紙に火を付け、細い薪からだんだんと太い薪に点火していき、ある程度の炎になったところで、石炭をくべる。このタイミングを間違えると、折角の炎を石炭で埋め尽くして一瞬にして消してしまうことになるので、慎重に作業を進める。
冬場にこんな作業をしているから、秋の芋煮会で野外のたき火をするなんてのは、朝飯前である。だから、酒田で育った子どもは、基本的にアウトドアライフは OK である。
大学に入って東京に出てきた最初の冬は、あまりの天気の良さに天国だと思った。しかし、今はあの地吹雪が妙に懐かしくなることがあるのである。
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コメント
庄内人はやはり地吹雪が体に染みついているのでしょうね。
私も地吹雪には思い出があります。
私は西遊佐出身なのですが、子供の頃、小学校の帰りに地吹雪に遭いまして、全く前が見えない西山の畑道を3人で身をこごめるように歩いておりました。すると突然、私の前を歩いていたヤツが「グボッ」という鈍い音を残して消えてしまったのです。
「はえっ?」と思った瞬間、消えた理由が分かりました。地吹雪により出来た雪庇に上がってしまって2人とも小高い丘の道から下の畑に転がり落ちたのでした。(^^;)
しかし、仲間とはありがたいもので、後ろから来たグループが見つけてくれて、大騒ぎで引き上げてくれました。
その時気づいたのですが、落ちた場所は結構なだらかな斜面で、そこは当然にしてみんなの肥料袋ソリ(当時の肥料袋はビニールだった)の遊び場と化したのでした。
畑のオヤジに見つかって、しこたま ごしゃがっだ(怒られた)のは言うまでもありません。
ごしゃいだオヤジは、その春にそこの道に柵を作ってくれました。きっと、子供たちがまた落ちないように心配してくれたのでしょう。(と、言うことにしておきましょう。(^^;))
投稿: 伊藤 | 2005年1月10日 17:51
伊藤さん、コメントありがとうございます。
いやはや、酒田の街中では雪庇まではできませんでした。
(それは冬山で注意することかと思ってました)
助かって良かったですね。
投稿: tak | 2005年1月14日 14:44