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2005年1月19日

ラジオが作る 「耳年寄り」

以前は 1月と 7月の 16、17日は「やぶいり」ということになっていた。奉公人が実家に帰ることのできる日である。

今では死語というよりも、風習としてすっかり消えてしまった。先日、三代目三遊亭金馬(当代の師匠)の落語「やぶいり」を録音で聞いて、この言葉を思い出した。

私は昭和 30年代を "ラジオオタク" のひねた子供として過ごしたが、当時、「やぶいり」は放送の世界では、少なくとも言葉としてはしっかり生きていたと記憶している。だから私も、子供のくせに「やぶいり」とは何かを知識として自然に知っていた。

しかし、昭和 30年代に録音された金馬の「やぶいり」を改めて聞くと、商家の奉公人が盆と正月のたった二度だけ実家に帰れる日であると、噺の「まくら」の中で説明している。ということは、この時代には既に制度としての「やぶいり」は廃れてしまって、説明しないとわからない者が多くなっていたということだろう。

それもそのはずだ。昭和 39年には東京オリンピックが開かれ、東海道新幹線が開通した。この前後をきっかけとして、高度成長時代が始まったのである。それとともに、世の中から「奉公」が消えて「勤務」が台頭したのである。

一般の商家にしても、使用人を 年に 2度しか実家に帰さないという条件では、求人がままならない。そもそも、遠方からの集団就職組になると、たった 2日では帰郷すらできない。

昭和 30年代というのは、古い日本と新しい日本の変わり目の時代だったのだろう。私はこの時代、ラジオにかじりついて「大人文化」に浸っていたので、ずいぶん「耳年寄り」になってしまったというわけだ。

私はテレビはあまり見ないが、ラジオは仕事の最中もつけっぱなしにして、今でもよく聞いている。それも、ちゃらちゃらした音楽とジョッキーの軽いトークだけの FM なんかではなく、AM の「大沢悠里のゆうゆうワイド」や「永六輔 その新世界」みたいなベタベタの中高年番組とか「ラジオ寄席」などの演芸番組である。

ラジオは今でも、耳年寄りを作れるメディアであり続けていると思う。というのは、ラジオというのはテレビと違って、興に乗れば言葉で昔話を延々と語れる余裕のあるメディアだからだ。テレビではこうはいかない。

今の子供もテレビなんか見ないで、もっとラジオを聴いて耳年寄りにならないと、日本の文化が廃れてしまうような気がする。

今、ラジオで昭和 30年代以前の昔話ができる世代は、もうとっくに還暦を越えている。いつまでも元気で昔話ができるわけではない。この世代が死んでしまったら、もうあの下らない全共闘を懐かしむ程度の昔話しか聞けなくなる。今のうちである。

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