センター試験
大学入試センター試験で、国語教科書に載っているのと同じ文章が出題されたとして、問題になっている。
大手予備校代々木ゼミナールの講師は「我々が模試で出したら笑われてしまう」とコメント。こんなところでも、お国より民間活力のレベルの方がずっと上のようだ。
とはいえ、今回の問題では感情的な不公平感はかなり出ただろうが、実際問題としては、学校の授業でやったかやらなかったかは、試験の合否にそれほど決定的な要因にはならないだろうと思う。一度教科書で勉強していようが、初めてだろうが、結局、わかる者にはわかるし、わからない者にはわからない。
こんなのは、以前に触れた「朝日新聞問題」と同じことだ(参照)。朝日新聞は、「大学入試に強い」と自画自賛しているが、朝日新聞を購読したからといって、大学入試に受かるとは限らない。同様に、第一学習社の国語教科書を使ったからといって、この問題だけはすべてできたとは限らない。
とくに国語なんていう科目は、結局文章センスの問題だから、読解力のいい子は、初めてだろうがなんだろうが、スラスラわかるのだ。だから、感情的な不公平感よりは、実際の影響は軽微だろうと思う。
ちょっとイヤラシイ自慢をさせていただくと、私は30数年前に大学入試を受けたとき、国語科目の試験開始のベルがなり、問題用紙を一目見て、本気で驚いた。「こんなもんで、落ちるヤツがいるんか !?」と。
私はとても不真面目な高校生だったので、受験勉強なんか真面目にやらなかった。当然、模擬試験なんかもまともに受けなかったので、大学入試がどんなものか、あまり予備知識がなかったのである。今から思えば、とんでもない受験生だった。
それでも、本番の問題を一目見て、とても安心した。これなら満点だと確信したのである(一応、一流と言われる大学の試験であった)。
国語の問題なんて、そんなものである。あまり目くじらたてなくてもいいだろう。数学の証明問題とかなら、話は別だろうが。
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