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2005年1月20日

「かすと」と「さんごろぺ」

私は三代同居の家で育ったので、由来もはっきりしない古い庄内弁の飛び交う中で、子ども時代を過ごした。

その代表格が「かすと」と「さんごろぺ」である。この二つは、悪いイメージの代表格として、子どもを叱る際に、「~じゃあるまいし」という使い方がされた。

庄内弁には訳のわからない言葉がかなりあるが、よく辿れば大抵は古語の訛りであるとわかる。つまり、いくらチンプンカンプンでも、庄内弁とて日本語の一部なのである。

例えば、驚くことを「きもける」という。これは「肝がひっくり返る」ということで、つまりそれほどまでにびっくりするということだ。

「もっけだの」は「ありがとう」である。道理のわからない余所者は、「庄内人は人に何かしてもらうと、すぐに『儲けた』なんて、はしたないことを言う」などと言う人もあるが、これは決して「儲けた」の訛りではない。「もっけの幸い」の「もっけ」であり、意味は 「滅多にないこと」である。つまり、その心は「有り難い」と同じなのである。(ちなみに「儲けた」は「もげだ」と訛るので、違いは明らかだ)

このように、多くの庄内方言の語源は案外簡単にわかるのだが、「かすと」と「さんごろぺ」(最後の「ぺ は "pe") は、何だかよくわからない。

「かすと」 は、がつがつ食べることを言う。子どもの頃、空腹のあまり息せき切ってご飯を掻き込むと、祖母に「"かすと" であんめし、もと、よっくりけ!」("かすと" じゃあるまいし、もっとゆっくり食え!) と怒られた。しかし私が「"かすと" って何?」と聞いても、いつも笑って答えてくれなかった。多分、彼女も知らなかったのだろう。

最近、秋田県の本荘由利地域(庄内のすぐ北隣)の方言をまとめたサイトの中に、「かつと」という言葉を見つけた。使い方は、庄内弁とまったく同じである(参照)。

このサイトでは、「かつと」は 「飢人??」としている。しかし、「飢」の読みは「キ」と「うえる」だから、「かつと」に字を当てるとしたら「渇人」の方が正しいだろう。ただ、一般的な古語辞典で引いても「渇人」は出てこない。漢和辞典には「飢人」があるが、これでは「かつと」や「かすと」と読み下すのは無理があるし、やはり謎として残る。

さらに謎を呼ぶのは「さんごろぺ」である。子どもの頃、着崩しただらしない身なりをしていると、「"さんごろぺ" であんめし!」("さんごろぺ" じゃあるまいし!) と怒られるのだった。これも「かすと」同様、意味を聞いても納得のいく回答を得た例しがない。

私は子供心に、「そう遠くない昔、"三五郎平" とか "山五郎兵衛"とかいう名前の、とてもだらしない人がいたのだろう」ぐらいに思っていた。一説によると、「いつもチンチン丸出しで歩いていた人」などとも言う。そうなると、知る人ぞ知る「仙台四郎」みたいな人だったのかもしれない。

しかし、同じ「チンチン丸出し」でも、四郎様は写真まで残るはっきりした実在の人で、仙台では今や商売繁盛の福の神扱いだが、「さんごろぺ」は実在も定かではなく、ただ単にだらしない人の代表みたいな言われ方で、扱いに差がありすぎる。

ある時、母の叔父(祖父の弟)が来たとき、さんごろぺを知っているかと聞くと、彼は笑って、「ほほう、いだもんだけのぅ」(ほほう、居たものだったなぁ)と答えた。ところが、やれうれしやとどんな人だったかと訊ねても、言を左右にして、具体的なことは何も言わない。要するに彼も知らなかったのだろう。結局「ウソばっか!」ということになった。

半世紀近い謎を引きずっていると、どうも夢見が悪い。「かすと」「さんごろぺ」関係で有力な情報があったら、メールで知らせていただければ幸いである。

【追記】

1年半以上経ってから、「かすと」 に関する有力情報が入ったので、改めて "庄内弁の「かすと」は「かつゑびと」?" というタイトルで記事を書いた。参照されたい。

tak-shonai の本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

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