国鉄時代の乗客サービス
昨日は、今頃の季節になると、電車内と百貨店の店内が暑すぎるということについて書いたが、電車内冷暖房の調整に関しては、一時よりずっと良くなってはいる。
それは、JR になって民営化されてからである。旧国鉄時代なんて、本当にひどいもので、客を客とも思っていなかった。
それは忘れもしない、私が大学生時代に、春休みに帰郷して、東京に戻るときのことだった。私は酒田から旧国鉄時代の「特急いなほ号」に乗車したのである。
春らしい日射しのホームから車内に乗り込むと、そこはむっとするほどの暑さだった。外気温との差による身体の錯覚かと思ったが、そうでもない。周囲をみても、みな上着を脱いで、上気した顔に玉の汗を浮かべている。どうみても暖房の効きすぎだ。
まもなく前方から、車掌が検札に廻ってくるのが見えた。やれやれ、助かった。これで誰かがきっと、あの車掌に暖房の調節を頼むに違いない。
しかし、見ていると、車掌に暖房の苦情を言う乗客は一人もいない。東北地方日本海側の人たちは、概ね素晴らしい忍耐の美徳を備えているが、それは、我慢しなくてもいいことを我慢してしまうという欠点にも通じる。時と場合によっては、謙虚すぎるのも考えものだ。
ここは、私が言ってやらなければならない。そうでないと、電車が上野に着くまでに、皆ゆでだこになってしまう。自分の検札の番になったとき、私は「車内が暑すぎるんですけど」と車掌に言った。
すると、その車掌はこともあろうに、こう応えたのである。
「まだ春で、冷暖房の切り替えが済んでないので、冷房は入れられません」
私は呆気にとられてしまい、その車掌の顔をまじまじと見つめた。あまりのことに、「冷房を入れろと言ってるわけじゃなくて、暖房を弱めてくれればいいのだ」という当たり前の言葉が、浮かんでこなかった。その替わり、「お話にならないから、もういいです!」と吐き捨ててしまった。
車掌が行ってしまうと、周囲の乗客が口々に「なんて車掌だ、ありゃバカか」と悪態をつき始めた。
しかしここは、悪態をつくより、ゆでだこにならない方策を工面しなければならない。試しにデッキに出てみると、ドアの反対側の壁に空調のボタンが見つかった。真冬でもないのに三段階の最高にセットされていた。
私は迷わず最低にセットするボタンを押して席に戻ってみると、それまで吹き出していた熱風は嘘のように収まり、少しは凌ぎやすくなりつつあった。
民営化されてから、さすがにこれほどひどいことはなくなった。
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