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2005年1月30日

人は死んでも生き返るか?

長崎県の調査で、小中学生の 15%が「人は死んでも生き返る」と思っているとの結果が出て、あちこちで呆れかえられているが、ちょっと待てよと言いたい。

15%では、むしろ少なすぎるくらいだ。私だって子どもの頃は「生き返ることもあるかもしれない」ぐらいには思っていたぞ。

この調査、何しろ調査の仕方が乱暴すぎる。長崎県のホームページにある調査報告書によると、質問文は「人が死んだら生き返ると思いますか」となっている。悪文である。私なら「人は死んでも生き返ると思いますか」ぐらいの質問文にしたいところだ。

ちなみに、回答は「はい」と「いいえ」の二者択一で、他の選択肢はないように見える。このあたりも乱暴だ。

こんな乱暴な質問には、現在の私なら「答えようがない」と応えるだろう。「死」というものの定義そのものが明確ではないからだ。「脳死」を人の死とすることに、あれほどの抵抗があったのは、脳死で「死」と判断されても、実際は死んでいないという主張があったからではないか。

「死」が明確でない以上、「生き返る」という概念も不明確にならざるを得ない。従って厳密には答えようがない。

しかし、二者択一でどちらかにチェックマークを入れるしかないのなら、「絶対に生き返らない」という確実な証明にお目にかかったことがない以上、「もしかしたら、奇跡的なこともないではないかもしれない」という気が少しでもしたら、「はい」と答える方が、ずっと論理的な態度ではないか。

私の子どもの頃は、民間伝承の世界の話だろうが、「どこそこの誰々は、葬式で読経の最中に棺桶の中から生き返った」なんて話がいくらでもあった。「死んで生き返った者は、その後は長生きする」なんて言い伝えもあったぐらいである。

新約聖書の 11章には、キリストが死んだラザロという男を生き返らせたという話が書かれている。キリシタンの伝統を引く長崎県にしては、15%という数字は少なすぎるくらいだ。

聖書ばかりではない。神話や伝説には、死んだ者が生き返るエピソードなんて、珍しくもない。してみると、死者の蘇生に関しては、むしろ今よりも昔の方がずっと信じられていたもののように思われる。

今回の調査結果に関して、今の子どもは「死」というものを現実感をもって認識していないなどと論評する向きがある。しかし、そう言っている人に、「それじゃあ、あんた自身は子どもの頃、そんなに死を現実的に理解していたのか」と質問してみたい。

私は何人かの死に遭遇した経験があるが、それでも、未だに現実的に死を理解していると言い切る自信はない。そんなもの、自分で死んでみなければわからないし、そもそも、まだわかりたいとも思わない。

また死んでも生き返ったり、リセットできたりするゲームの影響だという人もいる。しかし、今回の調査では、生き返ると思う理由として「ゲームではリセットできるから」と答えたのは、わずか 7.2%に過ぎない。15%のうちの 7.2%だから、全体から見ればわずか 1%である。

ゲームの影響が皆無とは言わないが、これを云々するなら、聖書の他、死者の蘇生伝説を含む多くの神話や民話だって問題にされなければならない。

もう一度いうが、15%というのは、決して驚くほどの数字ではない。土台、比較対照するデータすらないではないか。

(平成17年9月8日追記)

たまたま、上記の 「長崎県のホームページにある調査報告書」 にもう一度行ってみたら、設問の文章が 「死んだ人が生き返ると思いますか」 になっていた。1月の時点では、確かに「人が死んだら生き返ると思いますか」というものだったのだが。

調査結果を発表し、その後に設問の文章を書き換えるなんてことをしたら、まともな調査報告にならないではないか。困ったものである。

tak-shonai の本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

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コメント

(長レス失礼します)
うーん。これって「近頃の子供は「ゲーム」や「ネット」の影響で人の生死の軽重がわからなくなっている。だからあんな凶悪犯罪を起こすんだ」という結果をあらかじめ設定して作成した強烈なバイアスのかかったアンケートって感じですよねぇ。
そもそも繊細な不可知論をYES・NOでざっくり切り分けようとするアンケート作成者のほうがよっぽどゲーム的で現実性の欠いた思考の持ち主に見えて仕方ないという。
こうったアンケートをしたり顔して作成、実施したり、その結果にすべて「NO」と思って当然だと思っている教育やマスコミの側――大人達の社会の側のほうがむしろ問題なんじゃないかなぁと私は思ったりします。
不可知論を雑に切り分けてすべて「ないもの」に放り投げる情緒も熟慮もない社会がああいった少年少女の凶悪犯罪を生む土壌の一つといえまいか、とか。
やっぱりここは子供達には「YES」を選ばせるべきだと思うし(―――15%という数字はやっぱり少なすぎますよね)、そういった心と頭脳の余裕というか豊かな精神的土壌が育てられる環境を作るべきだと思う。
が、それに気づかず、ますます社会の側はこの「15%」さえも少なくさせようとしているようで―――。うーむ。
(あ、金曜日のカウンターちゃっかり回ってましたよね)

投稿: まこりん | 2005年1月30日 21:18

まこりんさん

私のまさに言いたかったことを補足してくれて、感謝です。
打てば響いたという感じです。

投稿: tak | 2005年1月30日 21:29

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