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2005年2月13日

非科学的なものは人権侵害につながるか

大津市の手帳の話で、ため息をついた。「六曜」が記載された職員手帳を、人権団体の「不適切だ」との指摘によって、すべて焼却処分するというニュースである。

重箱の隅をほじくりまわす人権団体と、「建前論」に終始した市役所の対応に、やりきれない思いがしてしまった。

はっきり言って、「六曜」の記載がなにゆえに人権侵害に当たるのか、まともに理解できる人は少ないだろう。「非科学的」なものをすべて排斥していたら、この世の中は何もまともに運ばなくなるではないか。

六曜の記載についていえば、そりゃあ、記載されている方が便利である。私自身はそんなものはまったく気にしないが、だからといって、セレモニーに関することで無頓着に事を進めると、気にする人から必ず横やりが入るに決まっている。それならば、余計な摩擦を避けるためには、知っておくにこしたことはない。(これは単なる処世の術というだけの話だが)

それから、知人や親戚が亡くなった場合などでも、「友引」に葬式は入らないだろうから、知っておけば直前のスケジュールの調整がしやすいということもある。

「本音と建前」とで言ったら、今どき、ほとんどの人は、日常的な意識では「六曜」なんてものにこだわらないに決まっている。それが「本音」だ。だったら、そんなもの無視すればいいのだが、そう簡単には進まない。

「六曜」が登場するのは、セレモニアル(儀式的)なことに限られるのだ。「儀式」というのは、「本音」が嫌いで、「建前」が大好きなのである。

そういうわけで、誰もが普段は気にしない「六曜」だが、結婚式だの、葬式だの、起工式だのと言ったケースでは、俄然、クローズアップされてしまう。セレモニーというのは、元々それ自体が非科学的な心性に立脚しているのだから、仕方ないのである。

結婚式の指輪の交換やお色直しなんて、非科学的なことおびただしい。葬式のお経だって、怪しいと言えば怪しいし、「浄めの塩」と来た日には、何しろ「穢れを浄める」のなんのというわけだから、人権的な視点からみたら、かなりアブナイものを秘めている。それから、起工式の祝詞(のりと)だって、つつけば相当出てきそうだ。

滋賀県の住民向けの人権研修に使っている冊子では、六曜などの迷信にこだわることは差別意識につながりかねず、「こだわらないことが大切」としているらしい。

ふむふむ、なるほど、「こだわらないことが大切」ということに、人権団体は異常にこだわってしまっているわけだな。

tak-shonai の本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

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