石原都知事の 「ババア発言」 訴訟判決
石原都知事のいわゆる「ばばあ発言」訴訟の判決が下った。(参照)
判決は「(都知事発言は)個人の尊重を定めた憲法の理念と相いれない」ものの、「原告個々人の名誉が傷つけられたとは言えない」として、請求を退けた。典型的な「上手な判決」かもしれない。
訴訟を起こした 「首都圏の女性 131人」 は、都知事を相手に慰謝料計約 1400万円の支払いなどを求めたわけだが、この訴えをそのまま認めたら、「憲法で定められた個人の尊厳」 つまり、日本中の女性の個人としての尊厳を冒した罪による慰謝料が、たった 131人で山分けということになるから、確かに都合の悪いことになるだろうし。
いやいや、1400万円は日本中の女性が卑しめられたことに対するものだということになるかもしれないが、1億 2000万人の国民の半分、6000万人で割ると、1人当たり 1円にもならなくなってしまう。だったら、もっとふっかけるべきだったかもしれない。
そもそもこの裁判には "『東京女性財団』問題" という政治的な裏があって、それに関しては、平成 14年 12月 21日の当コラム (ココログ移行以前の古い話) で触れている。
そこで述べたことを繰り返すと、
今回の訴訟問題は、「石原都知事は、女性蔑視のひどい男なのよ。 彼は女の味方の『東京女性財団』を潰した張本人なのよ。だから、あんな男に都政は任せられないのよ」 というプロパガンダの一環であると、認識しておかなければならない。
そうしたポリティカルな視点を別にすれば、彼の「ババァ発言」は、煎じ詰めれば、単に遺伝子の継承のためにのみ生きている動物と、それだけで満足せず、確実に地球の破滅につながる物質文明、文化を営々と築いてきた人間とでは、どちらに意義があるのだろうかという、極めてプリミティブな幸福論に立脚した文学的表現に過ぎないのである。
要するに、「ババァ」という存在が生殖機能を失ったにも関わらず大きな顔をしていられるのは、物質文明や文化の発展が、単なる種の保存以上に意義があるという哲学に支えられているからなのだ。石原氏の言うのは、その哲学を根本から覆して、地球を滅ぼす要因のシンボルとして捉えることだってできるというストーリーである。
彼は政治的な波紋を確実に巻き起こすだろうとわかっていながら、こうした文学的表現を平気でするところがある。ある意味で、それも一つの政治的手法と言えるのだが。
なお、都知事の「文学的表現」に関して、趣味がいいか悪いかは、この際別問題としておく。
また、この問題に関しては、石原知事に批判的な立場でまとめられたレポートもあるので、参照頂きたい。(こちら)
率直な意見を述べるとすれば、 『東京女性財団』という団体に関しては、東京都からの財政援助がなければ運営がほとんど成り立たないような事業ならば、廃止になったのも仕方がなかったのではないかと思う。
年間予算の 98%が助成金頼りで、その助成金が途絶えた途端に団体も解散というのでは、関係者にとって「旨み」がなくなったからと受け取られても仕方がない。どうしても必要な事業ならば、手弁当で石にかじりついても続ければいいのだ。
助成金が切れたからといってあっさりと解散し、その上で被害者づらをして他を批判するというのは、ちょっと根性がなさすぎるというものだ。
なお、私は決して女性の地位向上運動に反対するものではない。私が冷ややかな目で見たくなるのは、助成金をもらって「おんぶにだっこ」のくせに、大いばりで必要以上に金のかかる「事業」とやらを展開したがる団体一般に対してである。
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