ナマクラな愛国心
今月は 「建国記念の日」 という祝日があったこともあり、某所で雑談するうちに「愛国心」の話になった。そこにいた全ての人が、「愛国心を持っているよ」と言う。
「だって、日本はそこそこいい国じゃん。他の国に生まれるより、ずっとよかったよ」というのが、最大公約数的意見である。
「独裁とかじゃなくて、一応はちゃんとした民主主義だし、経済的にもそこそこ豊かで、治安も悪くないし、それなりの暮らしはできるし、自然にも恵まれてて、四季折々の美しさってものもあるし、なんだかんだ言っても、日本はいい国だよ。北朝鮮なんかに生まれたりしたら、大変だよ」
確かに言える。学校に乱入して教師や生徒を刺し殺したり、わけもなく国道で集団暴走をしたり、電話で人を騙して口座に金を振り込ませたりする連中がいて、毎日ニュースになっているとはいえ、全般的にみれば、日本は穏やかないい国である。
しかし、私は「そこそこいい国だし、他の国に生まれるよりずっといいから、愛国心あるよ」という言い方には、ちょっと疑問を感じるのである。「愛国心をもつこと」がちょっと気恥ずかしいことで、その言い訳として、「そこそこいい国」というのを持ち出しているような気がするのである。
だったら、民主主義が確立していなくて、経済的な豊かさが享受できなくて、治安が悪くて、自然条件の厳しい国に生まれてしまったら、愛国心がもてないのか。そんなことはなかろう。
日本よりずっと悪い条件でありながら、「国を愛する心」を歌い上げている国は、世界中にいくらでもある。それどころか、そうした国の国民は、日本人よりずっと強い愛国心をもっているようにさえ見受けられる。
ちょっと言い方を変えると、日本人の愛国心は「見かけが良くて、優しくて、稼ぎがよくて、そこそこの社会的地位があるから、親を愛している」と言っているようなものだ。愛するのに条件闘争をしている。
「愛する」というのは、本来は無条件のものだ。「見かけがパッとしなくて、分からず屋で、甲斐性なしで、地位もない」という親でも、親は親である。それと同じように、祖国は祖国である。選べないからこそ、通い合うものがある。
それだけに、享受できるものの多さとの「取り引き」のようなものを「愛国心」と言われると、抵抗があるのである。劣悪な条件の国に生まれても、「よりよい国」を作るための「創造的な愛国心」というものが湧くのだから。
そう言う意味では、我々の 「愛国心」 って、ちょっとナマクラである。ナマクラな愛国心で済む国に生まれた幸せをもっと真剣に考えれば、このナマクラも少しはまともになるかもしれない。
ナマクラで済まなくなってからあせるのでは、もう遅い。
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