平成の大合併のゴタゴタ
当コラムでも何度か取り上げた「南セントレア市」問題だが、住民投票の結果、気恥ずかしい新市名の撤回どころか、合併そのものが否定されてしまったようだ。
首脳たちのちょっとした勘違いが、寝た子を起こしてしまったようだ。世の中、何がどう転ぶか、本当にわからない。
今回の「平成の大合併」は、財政措置優遇などの甘い餌に群がった結果なので、あちこちでお笑いじみたお話が起き上がっているようだ。
そもそも、住民の意向も合併に向いていて、自然な形で合併できるようなところは、既に大した障害もなく合併を済ませている。今回の例のように、「駆け込み合併」みたいな形で大急ぎで間に合わせようとしたようなところは、住民の意向調査もそこそこに、行政主導であたふたと進めたという側面が大きいので、ちょっとつまずくと、根本的な問題までむし返されてしまう。
実は、私の住む町でも、1市 1町 1村による合併話が進んでいて、新市名まで決定していた。ところが、合併後の新市役所をどこに置くかでもめてしまい、地理的に真ん中にある村に置こうという案が多数を占めかかったところ、「そんなのやだ」とばかり、規模的に一番大きい市がさっさと抜けてしまった。
これは、合併なんかしなくても元々「市」である故の、余裕のわがままである。抜けられて困るなら、言うことを聞けということだったのだろうが、それは通らなかったので、「いち抜けた」になってしまった。
ところが、そのために話がいっぺんにスケールダウンして、残る 1町 1村による合併構想ということになってしまい、新市名もまったく新しいものになってしまったようなのだ。
しかし、新しく「市」になると言っても、どちらの町も村も、「市」と呼ぶにふさわしい景観がない。要するに、のんびりした郊外の田園地帯が、ちょっと手を結んで人口だけはそこそこになるので、じゃあ、行きがかり上、「市」になっちゃいましょうかというようなもので、住民としては、なんとなく「すわり」が悪い。
こんなことだと、改めてアンケートをとったら、多分合併そのものに懐疑的な票が多くなってしまうだろう。首脳たちもさるもので、そんなことになったら大変だから、あえて寝た子を起こすようなまねはしない。南セントレアは、そのあたりの読みを間違えて、完全に起こしてしまったようだが。
えらい人たちが場の空気を読めないと、馬鹿馬鹿しいことになるという教訓だ。
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