「判官贔屓」の正しい読み方
「ユニークな語釈」とやらで人気のある『新明解国語辞典』(三省堂)だが、私はかなり批判的である。マイクロソフトの辞書ソフト、"Book Shelf Basic" の国語辞書に採用されているのも、本当は気に入らない。
今日、また気に入らない語釈を発見してしまったので、ここでイチャモンをつけたい。
何が気に障ったのかというと、「判官贔屓」である。これを「ほうがんびいき」の読みで引くと、なんと、"「はんがんびいき」の老人語" と出てくるのである。とんでもない乱暴な語釈である。
私は「判官」という独立した言葉なら、原則的に「はんがん」と読む。しかし「判官贔屓」という複合語に関しては、断じて 「ほうがんびいき」と読む。「はんがんびいき」とは絶対に読まない。「老人語」とは何たる言いぐさだ。
そもそも「判官贔屓」というのは、同辞書が「はんがんびいき」の項で説明しているように、「兄頼朝に嫉視されて滅びた九郎判官源義経に対する同情の意」から発している。この「九郎判官源義経」というのが勘所である。
古典芸能の世界では、普通は「源」は付けずに、「九郎判官義経」と言い習わす。読みは「くろうほうがんよしつね」である。さらに「ほうがん」と言ったら、それはもう準固有名詞みたいなもので、とりもなおさず、源義経のことなのである。それが「お約束」なのだ。
歌舞伎十八番の「勧進帳」などで、関守の富樫が「判官殿にもなき人を・・・」という台詞があるが、これを 「はんがんどのにもなきひとを」 などと言ったら、それでもう、日本の歌舞伎文化はおしまいである。断じて「ほうがん」であって、「はんがん」ではない。
一方、「仮名手本忠臣蔵」で浅野内匠頭に擬せられる「塩谷判官」は、「えんやはんがん」である。「えんやほうがん」とは絶対に言わない。それは、「ほうがん」と言えば、源義経以外にいないからである。原則的に、義経以外は「はんがん」なのだ。
だから「判官」は「はんがん」でも「ほうがん」でも OK だが、「判官贔屓」となったら、昔から今に至るまで「ほうがんびいき」なのである。
きちんと日本の伝統文化を囓ってから辞書を編纂しろといいたいのである。
ちなみに、私は 「小股」 という言葉に関しても、同辞典にイチャモンをつけている (参照)。
[附記]
とにかく、日本人は昔から源義経が大のご贔屓で、芝居の登場人物人気投票をしたら、ダントツの一番人気だった。それで、歌舞伎にも「義経物」という一大ジャンルがあるぐらいである。
そんなことだから、昔の歌舞伎のドサ廻りでは、義経とは何の関係のない芝居でも、一度は義経が登場しないと、客が収まらないのである。
それで、ストーリーのちょっとした隙間に、まったく関係のない義経がちょっとだけ登場する。御殿の場面などで、登場人物が全部引けた時などに、奥の襖がスルスルっと開いて、一座の二枚目役者が登場する。義太夫の語りがうなる。
「そこにィ 出でたるゥ~う 九郎判官 (くろうほうがん) (ベベン、ベンベン)」
「くろうほうがん」 と聞けば、源義経に他ならないことは、日本の常識だから、もう客席はやんややんやの大喜び。声がかけまくられる。ちょっとした所作があって、客の気が済んだところで、義太夫は続ける。
「さしたるゥ 用事もなかりせばァ~あ、(ベベン、ベン) 次の間にとぞォ 消へ給ふ~ (ベベン、ベンベン)」
この語りに乗って、義経役者は次の間に消え、芝居は何事もなかったように、本来の筋に戻る。
「備考」
もちろん、「ほうがん」 の歴史的かなは、「はうぐゎん」 である。そして、「はんがん」 は 「はんぐゎん」 (念のため)。
| 固定リンク
「言葉」カテゴリの記事
- 画びょう、押しピン、プッシュピン・・・ 同じ物? 別物?(2024.09.03)
- 「異にする」を「いにする」と読んじゃうことについて(2024.09.01)
- 茨城の「いばらき/いばらぎ」より根源的な問題(2024.08.26)
- 「流暢」「流ちょう」「悠長」、そして「流調」(2024.08.21)
- 感じのいい人って、そんなこと言うんか!?(2024.08.12)
コメント
やっぱり「老人語」ですよ。
”くろうほうがん”で義経が当然のように浮かぶのは、もはや我々の世代まででいまどきの若者には通じないでしょうから。タッキーならわかるケドとでも言われそうですね。
日本の文化も、ここまで破壊され尽くされれば、辞書も新しい”米国の属国”としての文明開化に迎合せざるを得ないんでしょう。
投稿: kant | 2005年3月 6日 11:34
皆で誇り高き「耳年寄り」になりましょう。
投稿: tak | 2005年3月 6日 20:35
このところ愛用している「明鏡」国語辞典(大修館)を見てみました。「はんがん(判官)」→「ほうがん」とあります。「ほうがん(判官)」には「(3)源義経の通称」という語義もあります。「ほうがんびいき」は見出し語にありますが「はんがんびいき」はありません(誤読としてすら載っていません)。いい辞書かも!
ただしこの辞書の語釈に従えば、「ほうがん」=「(1)律令制で四等官の第三位」「(2)衛府の尉で、検非違使を兼ねる者」とありますので、「義経以外は『はんがん』」というのは??な気もしますが。
それにしても「さしたる用事もなかりせば」には大笑いしました。一度観てみたいものです。
投稿: 山辺響 | 2005年3月 7日 10:20
>「義経以外は『はんがん』」というのは??な気もしますが。
厳密に言えばその通りです。あくまでも、庶民レベルでの言い習わし的「お約束」ということで、ご理解ください。
>それにしても「さしたる用事もなかりせば」には大笑いしました。一度観てみたいものです。
今どきの、格式高い歌舞伎では無理でしょうね。
明治初期までのドサ廻りのエピソードですから。
でも、私も見てみたい。
ちなみに、関係なく出てくる義経は、
勘九郎だった頃の、若き日の勘三郎ということで。
投稿: tak | 2005年3月 7日 20:55
鎌倉時代を専門に研究されている史学科教授にお話を伺ったところ、当時は「判官」を「ハンガン」と読んでいたそうです。
「ホウガン」は江戸時代に広まった誤った読み方で、官職名で言うならば「クロウハンガン」と呼ぶべきとのこと。
ただ「判官贔屓」という言葉は後代成立したものですから、正式な官職名と言葉としての「正しい」読み方が異なっても構わないのでは。
投稿: 日本史潜航 | 2006年2月26日 20:16
日本史潜航さん:
コメントありがとうございます。
>鎌倉時代を専門に研究されている史学科教授にお話を伺ったところ、当時は「判官」を「ハンガン」と読んでいたそうです。
確かにその通りだと思います。
>ただ「判官贔屓」という言葉は後代成立したものですから、正式な官職名と言葉としての「正しい」読み方が異なっても構わないのでは。
江戸時代に芸能と共に広まった言葉でしょう。この時点で、「判官 (ほうがん) = 義経」 というお約束が成立したわけですね。
投稿: tak | 2006年2月26日 20:35
全く貴方の仰る通りで、こういうところで現実を無視したことをでっちあげる輩にはうんざりします。
これも真の教養である文語の理解が皆無の無知蒙昧な輩が偉そうにのさばる敗戦日本の姿として、後世の人からは憐れみの眼差しが注がれる事例の一つとなるでしょう。
精神症も多くは患者ご本人だけではなくその周囲の方々の方こそ病んでいる場合が多いものです。偉そうに無理を通せば道理は引っ込んで歪みが生じます。敗戦により日本は無理だらけ歪みだらけの醜くひっつれた傷跡だらけの顔のような無惨な姿を晒しています。
日本人の精神を穢すのが一番効果的に日本の国力を殺ぐ事と心得た赤い勢力が故意に日本の伝統文化を混乱させ抹殺させようとしてきたことを常に我々は憶えておかねばなりません。
投稿: 徐耽資 | 2013年4月 2日 00:06
徐耽資 さん:
ご指摘の道理はまさにその通りであり、共鳴する部分が多々あります。
しかしながら、恐縮なことに私はもう少しなまくらでありまして、それほどきっぱりと決めつける論法は取っていないのであります。ご容赦のほどを。
投稿: tak | 2013年4月 2日 00:28
今日何気なくTVを見ていたら、政治評論家の田崎が
はんがん贔屓と云っていた。
でもこの場合はほうがんが当然!
義経も記憶から消えているのには随分と空しい思いがわ
いたものですわ。
投稿: 吉街一人 | 2016年7月 1日 13:32
吉街一人 さん:
「はんがんびいき」 という言い方を聞くと、「あぁあ!」 と思ってしまいますわ。
投稿: tak | 2016年7月 1日 22:12
色々調べてみたところ、はんがんの方が正しそうですね
ほうがんの方は、重複でいうところのじゅうふくのような誤った読み方が広まった側のようですから。
ただ、結局むかしむかーしの話なので、本当になにが正しいなんて分からないんですよね
そもそも義経の読み方だってよしつね、ではなくてぎけいとかぎきょうかも知れないですし。
信長のように自分の名前を平仮名で「のぶ」と書いた手紙があるかもしれませんが…。それでものぶちょうかも知れないわけで
そんなこと言ってたらキリがないし、どちらでもOKという今のスタンスで良いのでは?
投稿: TA | 2018年8月21日 23:54
TA さん:
正直言って、この類いのコメントは 「もう、うんざり」 のレベルに達しています。わざわざ 「いろいろ調べ」 なくても 「判官」 が 「はんがん」 なのは、言うまでもない常識であります。
そしてきちんと読んで戴ければわかるように、ここで論じたのは、普通名詞としての 「判官」 の一般的な読み方ではなく、「源九郎判官義経」 という歴史上の人物に限った場合の慣習的な読み方であります。
私は普通名詞の 「判官」 を 「ほうがん」 と読めと言い張るほどの愚か者ではありません。
「ほうがん」 を 「重複」 の 「じゅうふく」 と対称させるのはちょっと違う気がします。「ほうがん」 は 「誤った読み方」 というよりも一種の 「音便化」 という方が近いですね。
さらに 「義経」 を 「ぎけい」 と読むケースも、「かもしれない」 どころか、ちゃんとあります。この辺のところこそ、よく調べてみてください。武将などの名前を音読みにすることがあるのは、日本の常識です。
例えば義経主従の物語、 『義経記』 は 「ぎけいき」と読みます。これを 「よしつねき」 と読んだら笑われます。ただ 「ぎきょう」 というのは、少なくとも私としては聞いたことがありません。仏教用語は呉音が主流ですが、武将の名の場合は漢音です。これは歴史がわかれば当然の話と理解できます。
「源頼光」 が 「みなもとのよりみつ」 だったり 「〜らいこう」 だったり、明治の人でも 「木戸孝允」 が 「きどたかよし」 だったり 「〜こういん」 だったりして、どちらが本来の読みなのかわからないほどです。
「信長」 が 「のぶちょう」 というのは、慣習的にはあり得ず、「お笑い」 になってしまいます。音読み、訓読みのどちらかで揃えるのが常識です。
また、信長が 「のぶ」 (そのまま標記すれば、濁点なしの 「のふ」) と署名したのは、女性宛の手紙 (つまり、権威ある公式な手紙ではない) なのだと私は思っています。
(男性宛の書状でそう署名したケースもあるかもしれませんが、浅学故にその辺はよく知りません。まあ、フツーは、それはないかなと思います)
投稿: tak | 2018年8月22日 14:07