日本の高校生は「自己中心的」か?
(財)日本青少年研究所の実施した 日・米・中 3か国の高校生の意識調査によると、「国に誇りを持っている」という日本の高校生は 51%で、米国、中国に比べて 2割以上少なかったという(参照)。
日本の高校生は、総体的に「自己中心的で刹那的」ということだそうだ。
何しろ、日本の高校生は米国・中国の高校生に比較して「将来に悲観的で、若いうちに楽しんでおきたいという願望が強く、家族の犠牲になることを嫌い、学校では居眠りし、家庭でも勉強せず、国に誇りを持つという意識も薄い」という傾向が強いのだそうだ。こうした結果により、「自己中心的で刹那的」と結論づけられたわけだ。
しかし、 「本当にそうかなあと疑問に思うのである。
この種の調査結果が報告されるたびに、私はいつも思うのだけれど、文化の違う地域の人間に、同じ内容の質問を、しかもそれぞれの言語に直訳して投げかけて、それに対する解答を、何の調整も加えずにそのまま発表したところで、あまり意味がないのではなかろうか。
私は米国には何度も行ったことがあり、現地の人間ともかなり接触した。中国には行ったことがないが、何人かの中国人を知っている。その上で言うのだが、「自己中心的で刹那的」 という性向なら、米国人と中国人の方がずっと強いという印象だ。日本人なんか、足元にも及ばない。同様の印象を持つ人は案外多いのではないかと思う。
国に誇りを持つかどうかということについても、この質問への回答は、文化性にかなり制約される。米国人は何しろ「USA は世界でナンバーワン」という単純な幻想を抱いている。プライドがあるかと聞かれたら、そりゃあ「ある」と答えるだろう。
中国に至っては、何が何でも誇りをもつように教育されているし、「誇りを持たない」なんて言ったら危険分子扱いにされるだろうから、こんな質問をすること自体がナンセンスともいえる。
その点、日本人は「国に誇りを持つか」と聞かれると、とてもデリケートになってしまう。「持ちたいけど、こんな状態ではちょっと持てないよなぁ」という心根は、単純に「大いに誇りを持つ!」と答えるよりも、純粋なものであるような気もするのだ。
日本の高校生の傾向をもっときちんと分析したら、「自己中心的で刹那的」というよりは、「ストレートな反応を示すことに、かなりのてらいを示す」ということになるのではなかろうか。なまじニュアンスの豊富すぎる文化圏に住んでいるので、他の 2国に比較すると、かなり複雑な反応を示す傾向が強い。
だから、こうした一律の質問に答えなければならないというのは、いわばハンディキャップ・マッチみたいなものなのだ。
完全に楽観的でいてもいいということではないが、それほど危機的というわけでもないのではなかろうかと、当たり前のことを指摘しておきたいのである。
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