採血のトラウマ
今年も私の住む町から総合検診の知らせが来た。サラリーマンを辞めてからというもの、健康診断をしたことがないから、そろそろ受けてみた方がいいのかもしれない。
だが、どうも進んで受ける気がしない。というのも、血液検査の際に注射で血を抜き取られるのが、メチャクチャ苦手なのだ。
自慢じゃないが、私は自分の腕に注射針の刺さるのを自分の目で見たことがない。顔を背けていないと、いたたまれない。
別に痛いとかいうのではない。あの程度のチクリとした痛みなら、本来は全然平気なのである。だから、あの恐怖感は肉体的というより心理的なものなのだろう。
ところで、私は 20代から 30代にかけて、町道場に通って合気道をやっていた。その道場の師範の奥様は、日赤の婦長さんと聞いていた。
ある日、私は駅前でやっていた献血に応じた。献血バスに乗り込み、狭いベッドに横になると、例によって顔を背けていたので、しかとはわからないが、右腕に注射針を突き刺されたような気がした。やれ恐ろしや、どんなぶっとい注射針だろうか。
その注射針を刺されたまま、掌を握ったり開いたりし続けろという。そうすると、採血しやすいらしい。私は言われたとおり、おもむろに握ったり開いたりを開始した。
腕に注射針を刺されたまま掌を動かし続けるというのは、かなり心理的抵抗があったが、しかたなく延々と繰り返した。その度に、注射針を通して私の血液がどんどんとあふれ出ていくような気がする。
決していい気持ちのものじゃない。いや、気のせいとはわかっているが、かなり追いつめられた感じがする。1時間も経ったような気がする。意味もなく口がパクパクし始める。
「あ、あのぅ・・・、まだでしょうか」
「まだまだですね。まだ半分いってませんから」
「うわ! そ、そうですか・・・、こりゃ、えらいこっちゃ・・・」
もう、1リットルぐらい抜かれているような気がしていたのに。これ以上続けていたら、神経がもたないかもしれん。勘弁してくれ! お願いだ、リタイアさせてくれ!
身体がむずむずする。意味もなく笑いのようなものがこみあげてくる。緊張の極致に達したときになぜかこみあげてくる、あの不思議な笑いだ。息がうわずる。ひくひくと痙攣し始める。
婦長さんらしき人が、「緊張しないでね、リラックスして」と声をかけてくれるが、こちらは冷や汗を流すばかりである。
ところが、その婦長さんの胸の名札に、道場の師範と同じ名字が書いてあるのに、私は幸か不幸か気付いてしまったのだ。やばい。
「あわわ、○○先生の奥様でいらっしゃいましたか!」
「あら、合気道やってたの?」
「ははぁ、大変お世話になっております。お見苦しいところをお見せして、面目ございません」
それから先は、どうやって採血し終えたか、まったく記憶がない。ふと気付くと、真っ青な顔をして、手渡された牛乳パックのストローをすする自分がいた。
翌日、道場に行くと、師範に 「だいぶ面白い状態だったみたいですな」 と冷やかされた。いやはや、何とも答えようがない。
タダでさえ、注射は嫌いなのである。その上、あの経験で採血はトラウマになってしまった。私は大抵のことは平気だが、高いところと注射(とくに採血)だけは苦手なのである。武道をやろうが、黒帯を巻こうが、苦手なものは苦手なのである。
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