カジュアル面接といっても
世の中には 「カジュアル面接」 というのがあるそうだ。企業の採用面接試験で、通り一遍のリクルート・スーツではなく私服の着用を求められるらしい。
ところが、これを真に受けていつものスタイルで行ってしまうと、一発で不採用になるという都市伝説があるという。
確かに難しいところである。「カジュアルウェアでおいでください」なんて書いてあっても、どこからどこまでが「カジュアル」であるかという基準は、時と人と所によってみな違うのだ。
例えば、スーツしか作ったことのないアパレル・メーカーが、商品レンジ拡大のために 「新カジュアル企画」 を発表したりする。ところが、それはカジュアルウェアしか作ったことのないメーカーが作る「新クラシック・ライン」なんていうのよりずっとフォーマルっぽかったりするのだ
普段スーツしか着たことのないオジサンが「カジュアル・フライデー」に着ていく格好は、ホリエモンの記者会見に臨む服装よりずっとずっとずぅっとフォーマルだったりするのと同じことだ。
だから、フツーの会社の「カジュアル面接」に、"Fuck You!" なんてロゴのある Tシャツに穴あきジーンズで臨んだら、やっぱり不採用の理由になってしまうだろう。「逆踏み絵」みたいなもので、モロに正直に踏んでしまったらアウトなのだ。
世の中、「本音と建て前」というのは厳然としてある。この「逆踏み絵」の場合、踏まな過ぎるのも問題で、「踏んだか踏まないか」という微妙なグレーゾーンでとどめるという、日本のビジネスで最も重要な「阿吽の呼吸」感覚が要求されるのだろう。社会に第一歩を踏み出す時からこんななのだから、日本はなかなか変わらない。
この関連で、私は 30数年経った今でもまだ憤慨していることがある。中学校を出て高校に入る時、入学前の「オリエンテーション」の通知が来た。それには「服装自由」と書いてある。私はそれを真に受けて私服で臨んだ。ところが、当日私服だったのは、私を含めて 2~3名しかおらず、ほとんどは制服姿だったのである。
そして、最初に登場した教師が開口一番に「いくら『服装自由』と書いてあっても、学校に来る以上、制服で来るのが当然で、私服で来るなどはもってのほか」などとほざくのである。
「だったら、初めから『服装自由』なんて書かなきゃいいじゃないか!」というのは、通らない理屈で、日本の教育現場では、こうして高校に入学する時期から「本音と建前」をきちんと見極めるという教育を施してきたのである。
あれが採用試験だったら、学科で通って、面接で落っこちるというパターンだったのだろう。まあ、高校入試だからオリエンテーションで私服だったからといって、合格取り消しというわけにもいかなかったわけだが。
要するにあれは、「問題児を問題児として見極めて、レッテルを貼る儀式」として機能していたわけだ。私はこの狙いを正しく受け入れて、きちんと「反抗的な生徒」になった。
その意味では、私はとても素直だった。「服装自由」という案内を真に受けたし、最初に貼られたレッテル通りの 3年間を律儀に過ごしたし。
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