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2005年3月 9日

デジカメをアナログ感覚で使う人たち

カメラの世界では、デジカメがフィルム式にすっかり取って代わり、写真に対するアプローチが変わってしまった。
私も、フィルム式の時代は写真を撮るのにほとんど興味がなかったが、最近は、別宅サイトの「和歌ログ」用に、ほとんど毎日デジカメで写真を撮っている。

ある日、歯医者だったかどこだかの待合室で、『暮らしの手帖』が置いてあったので、パラパラとめくって見ていたら、「デジカメ写真の保存方法」とかいう特集があった。どうやら、中高年層には、デジカメを購入したはいいが、その画像をどうして保存するかが大問題らしいのだ。

私はパソコンのヘビーユーザーとして久しくなってから、デジカメを購入したので、パソコンとデジカメをセットで考えるのが当然と思いこんでいた。写した写真は、どんどんパソコンのハードディスクに保存する。どうせ最近のパソコンはハードディスクが大容量化しているので、どんなにためこんでも、容量不足に悩むことはなくなった。

しかし、パソコンに馴染んでいない人にとっては、こうした当たり前のことができないようなのだ。下手すると、SD カードなどのメディアを何十枚も買い込んでしまっている人がいるらしい。何とアホなことを。

『暮らしの手帖』のオススメする解決策は、数枚のメディアを順繰りに使うことだった。原則的に、画像データは写真屋に頼んで紙焼きにしてもらって永久保存する。焼き増し用に保存したメディアも、1~2年経てば、その必要もなくなるので、数枚を順繰りに使っていけば、困ることはないということだった。

これでは、機械はデジタルになったが、発想はアナログ時代とほとんど変わらない。デジタル・データのメリットなんてものには一切目をつむり、紙焼きというアナログデータに落とし込んで保存するだけである。

インターネットで使うとか、画像をメールに添付して送るとか、画像ソフトで編集するとか、そういった使い方をしない限りは、これで十分なのだ。だったら、フィルム式の方がずっといいだろうにとも思うが、市場でフィルム式が消え去ろうとしているので、仕方がないのである。

世の中のハードウェアがデジタル式に移行しているから、しょうがなくデジタルを使うが、それをアナログに落とし込まないと使いこなせないという人は、案外多いようなのだ。

写真に限らず、パソコンだって、単なる文書の清書マシンとか、年賀状作成マシンとしか考えていない人も多い。デジタルがデジタルの強みを発揮している場面は、案外限られている。

テレビ電波もデジタル方式に全面移行するらしいが、そんなことをして意味があるのだろうか? 高い金を出してテレビ受像器を買い換えても、デジタル方式のメリットを使いこなせる人なんて、そんなにはいないだろう。

そんなにデジタルがいいなら、インターネットでテレビを見ることにする方が、ずっと安上がりのはずなのに。

tak-shonai の本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

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