情報操作 − 「知らせないこと」 の罪
以前にも 2度ほど書いた(参照1、参照2) のだが、「知って犯す罪と知らずに犯す罪」というテーマがある。
仏教的には 「知らずに犯す罪の方が重い」ということになっている。私は過去 2回のコラムで、「"知らないということ" 自体が罪だ」という書き方をしてきた。
世間一般では「悪いと知らずにやっちゃったんだから、しょうながいよ」ということになりがちだが、実はそうではないのである。
その理由を釈尊は焼け火箸の喩えで説明している。
焼け火箸を握るのに、熱いと知っていて握るのと、知らないで握るのでは、どちらがダメージが大きいか。知っていたら、恐る恐るの行為だから、握るか握らないかのうちに放してしまい、大したダメージは負わないで済む。しかし、知らないで握ったら大やけどを負ってしまう。
寓話の概略は、ざっとこんなところだ。底の浅い仏教入門書などでは、釈尊は「結果重視主義」の立場を取っているなどと解説されていることがある。
しかし、本当のところは、知らずに罪を犯した者は、とても傲慢な存在になってしまうから、罪が重いということだろう。
仕事などでミスをして周囲に迷惑をかけても、 「だって、知らなかったんだもの」と言って、非を認めようとしない者がある。甚だしくは、「前もって教えといてくれればいいじゃないの」と逆ギレする者まである。
そんなケースでは、「その程度のことを知らなかったのは、あんただけだよ」とか、「教えるも何も、そんな無茶苦茶なミスは想定外だし・・・」というようなことが多い。
「だって知らなかったんだもの」というのは、みっともない自己憐憫である。昔の職人の世界では、いちいち細かいことまで教えなかった。知識や技術は、教わらなくても見て覚えるものだった。いい年をしてものごとの道理を知らないのは、怠慢という罪である。
怠慢な者は自覚と反省がないから、同じ罪を何度でも犯す。
さて、問題はここからだ。世の中には、当然知るべきことを「知らせない」という情報操作がある。
中国では、反日デモがあったことすら知らない人が多いという。ニュースにならないからだ。まして、日本大使館に投石があったことなど、ほとんどの人が知らないらしい。現場を通りかかって狼藉の後を見ても、その理由はわからないわけだ。
反日デモの呼びかけはインターネットなどを通じて行われたらしいが、中国のインターネットは、外国の情報には自由にアクセスできない仕組みになっているという。「あれはインターネットというより、単に "巨大な LAN" のようなもの」という人もいる。
私は中国に行ったことがないので、その辺りの詳しい事情は知らないのだが、「中国のインターネット フィルタリング体制は、その種のものとしては世界で最も洗練されたもの」との信頼すべき報告がある。(参照)
この「洗練された」という直訳語に惑わされないようにしていただきたい。要するに、「都合の悪い情報は徹底的に排除されている」ということだ。
「知らないこと」も罪だが、「知らせないこと」の罪はもっと重いだろう。 それは「罪を犯せしむ」ということだからだ。
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