偏差値と IQ
受験シーズンも終わってしまったが、偏差値という言葉の意味を、私はきちんと認識していないことに気付いた。
高校時代、模擬試験とやらを受けさせられ、意味不明の数字が返ってきたが、全然気にもしなかった。一度きりのテストで頭の中身をどうこう言われたくない。
その時の私の「偏差値」というのは、かなり低い数値だった。そりゃそうだ。「偏差値」というのは、基本的にテストの点数をもとに操作してはじき出した数字である。私は高校時代の 2年 8か月を遊んで暮らしたから、テストでいい点なんか取ったことがない。
しかし、さすがに大学受験が迫ってきたので、最後の 4か月はそれなりに勉強した。勉強というのは、してみると、面白いほどに頭に入る。「なんだ、ここんとこがわかれば、あの時、満点取れたのだな」ってなものである。
それで最終的にはかなり点数が上がったのだが、母校に残されている(かもしれない)私の「偏差値」のデータは、低いままのものでしかない。卒業後 2~3年は、受験指導における「極端に例外的なケース」として、無視されていたと聞いた。
要するに、こんな程度の偏差値では入れっこない大学に、軽い気持ちでいくつも合格しちゃったので(自慢たらしくて恐縮)、普通の受験指導には邪魔なデータになってしまったらしい。
もう一つわからないものに IQ というのがある。中学校時代に IQ テストというのを受けさせられて、自分の結果を知りたい生徒は、担任の教師に聞きに行くと教えてもらえた。それで、同級生は、自分は 110 だの、あいつは 115 らしいだのと、密かに噂している。
私も自分の IQ とやらがどの程度なのか知りたくなって、教員室に聞きに行ったのだが、なぜか教えてもらえなかった。担任の教師は「あんなべらぼうな数字を教えたら、天狗になってしまうから、当人のためにならない」と言っていたらしい。
おいおい、そんな曖昧なことを言ったら、私のことだから極端に高い数字を妄想して、天狗以上のものになってしまうぞ。実際には、IQ の「相場」みたいなものを知らないので、妄想のしようもなかったが。
というわけで、私は自分の IQ を知らない。そもそも、IQ というのは年齢と共に変化するらしいから、今ではすっかり「ただの人」になっているような気もするので、改めてトライしようという気にもならない。
だから、私は自分のまともな偏差値と IQ というものをまったく把握しないうちに、こんな年になってしまったのである。要するに、そういうことにあんまり興味がないみたいなのだ。
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