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2005年5月 1日

蛙と環境

筑波の里の田んぼという田んぼには、水が張られて、春の空を映している。既に田植えも進みつつある。

この土地は、日本中の蛙の本拠地みたいな言われ方をする所だけあって、この季節、夜になると蛙の声が一斉に響き渡る。しかし、不思議に耳障りではない。

日本の国は水の豊富な風土に恵まれているので、太古の昔から蛙の鳴き声が高らかに響いていたのだろう。この鳴き声をうるさがるようでは、ストレスがたまって仕方がない。

だから、日本人の DNA の中には、「蛙の声を気にしない」という情報がしっかりと受け継がれているのではあるまいか。ふと気が付くと、周囲に満ち満ちている鳴き声が、普段は「聞こえない音」として脳内処理されているようなのだ。

「聞こえない音」というのは、便利なものである。秋になって虫の声が鳴り渡るようになっても、きちんと「聞こえない音」として処理されて、安眠妨害にならずに済む。これが「騒音」として聞こえるという西洋人は、さぞかしストレスだろう。

前夜に寝るのが遅くなって、朝寝坊をしたい時というのは、窓の外の小鳥の鳴き声も、きちんと「聞こえない音」になっている。ところが、同じ鳥でも、カラスの鳴く声はうるさく聞こえてしまう。波長にどこか決定的な違いがあるのだろう。

ところで、さしもの筑波の里も、年々蛙の鳴き声が小さくなってきている。最近、世界中で蛙の減少が目立っているらしい。一昨年の 7月にも書いたのだが (参照)、これはどうやら紫外線の影響が大きいらしいのだ。

カエルは毛がなくて皮膚がむき出しなので、さぞかし紫外線によるダメージが大きいだろう。日のあるうちは、せいぜい何かの葉っぱの影にでも隠れていてもらいたい。

ただ、今年はなんとなく去年よりも蛙の声に元気のあるような気がする。少しは環境破壊にブレーキがかかってきているということだろうか。そうだとしたら嬉しいのだが。
 

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