私は仏教徒
申し訳ないことにうっかり忘れていたが、昨日 4月 8日は、花まつり、つまりお釈迦様の誕生日なのであった。
私はこれでも一応、曹洞宗の坊主の孫でもあるし、人に「お前の宗教は何か?」と問われたら、迷うことなく「仏教徒である」と答える。
ところが、仏教の世界もいろいろ大変なようなのである。先頃死去したローマ教皇ヨハネ・パウロ 2世は、カソリック、キリスト教以外の世界的な宗教の融和を目指されたが、日本の国内では、仏教内部でいろいろな軋轢がある。
こうした問題は何も今に始まったことではなく、昔からのことだったらしく、明治 34年に村上専精という仏教学者が、『仏教統一論』(大綱論)という書物を著して、仏教哲理のインテグレーションを模索したらしい。何しろ、この人は東京帝国大学において、アカデミックな仏教論というのを日本で最初に確立した人だから、言うことが論理的だ。
どうすればインテグレーションが図られるかというと、難しいことは抜きにしてごく単純に言うと、お釈迦様の説いた原始仏教の段階にまで立ち返り、原点回帰すべきだとの主張だったのではないかと、私は解釈している。
それで、この先生は「大乗非仏説論」ということを説かれた。つまり、日本に普及している「大乗仏教」は、釈迦が直接説いた教えではなく、後からいろいろな創作によってまとめられたものだというのである。
こうなると、「仏教学者」と「仏教者」の立場の違いみたいなものも出てきて、既存仏教界は「確かに大乗仏教はお釈迦様が直接説かれたものではないにしろ、その根本精神をまとめると、こうなるのだ」という言い方をするしかないわけだ。結局、統一なんか果たせずに、火に油を注いだだけかもしれない。
まあ、私としては仏教学者でもなければ、仏教でメシを食っている坊主でもないから、そんなことはどうでもよく、ただ釈迦の教えといわれるものは、現代の視点から見てもなかなか素敵だなあと、単純に思っているわけである。
これだけ素敵だったら、釈迦の直接の教えであろうと、後でくっつけられたものであろうと、そんなことはどうでもいいじゃないか。ただ、基本をつくったのはお釈迦様だから、やっぱりエライのだ。
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コメント
私も仏教徒と言えば仏教徒で、家は真言宗ですが、まったく同感で、誰が言ったかなんてどうでもいいじゃないかと思っています。
A宗など、仏教統一論的な物言いをしている新興宗派もありますね。そういう原点回帰的な動きは、学問的には必要だと思いますが、宗派としてどうかと言われると、極端なものでは「イスラム原理主義」を髣髴とさせるものがあります。原理主義が行き過ぎると結局排他主義に陥る可能性が高く、結果、宗派間の断絶を深めることにつながりかねないというのは、いずこも同じですね。何事にも中庸が大事と。
投稿: kant | 2005年4月 9日 09:57
そうですね。
「統一」なんてことを言わなくても、
取り敢えずは、「多元的共存」がよろしいんではなかろうかと。
もともと突き詰めれば同じことに行き着くと思いますから。
投稿: tak-shonai | 2005年4月 9日 10:32