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2005年5月11日

自覚的にものを食う

我が家は決してベジタリアンというわけではないが、肉はそれほど多く食べない。

スーパーで買い物をすると、周囲の人たちのバスケットには、いろいろな種類の肉がどっさりと入っているのに驚く。今や肉がなければ、夕食のメニューは考えられない世の中になってしまったようだ。

「夕食の献立集」といった料理本を立ち読みしてみると、最初の方に肉料理がまとめて解説してあることが多い。それだけで半分近くのページが割かれていて、後は魚料理とパスタと野菜サラダぐらいのものだ。

私の学生時代は、肉なんてそんなに食えなかった。「サバの味噌煮定食」なんてものを食いながら肉体労働のバイトをして疲れ果て、仲間と「肉食わなきゃ、力が出ないよな」なんて話をしていた。

ところが、昨今の外食は肉だらけである。コンビニの弁当売り場を見ても、肉のないのは、蕎麦ぐらいのものだ。ベジタリアンはさぞかし困るだろう。

海外旅行で飛行機に乗ると、食事の時間には決まって "Meat or fish?" (肉にしますか、魚にしますか?)と聞かれる。そして、決まって肉料理の方が先に出払ってしまい、後の方の客は選択の余地がなくなって、魚料理があてがわれる。

私は魚の方が好きなので、安心しきっているが、肉でなければ困るという人は、気が気ではなかろう。

ところで、肉をあまり食わないようにするのは、エコロジカルな観点からも推奨されることらしい。というのは、現在の食肉用の家畜はほとんどが牧草ではなく、穀物飼料で飼育されているからだ。

穀物生産のかなり多くの部分が、人間ではなく、牛や豚に食わすために消費され、その牛や豚を人間が食う。そのようにして人間の口に入るエネルギーは、それまでに牛や豚が取ったエネルギーに比較すると、微々たるものだろう。

人間はせっかくの穀物のエネルギーを、牛や豚の段階でさんざん無駄使いしておいて、最後のお余りだけを辛うじて腹に入れるのである。もし、人間が肉食をぐっと減らして、食肉用家畜の生産を低く抑えることができれば、生産された穀物のかなり多くを人間のためにまわすことができる。そうすれば、世界の飢餓はかなり緩和されるはずなのだ。

そう考えてみると、肉食をするということは、飢えている人たちの食料を奪っているとする見方も可能である。

肉食を止めろとは言わない。しかし、多少なりとも減らすことによって、世界の食糧事情はかなり大きく変わるのだと知ることは、とても重要である。

私たちが「自覚的」にものを食うということだけで、世界は変わるのだ。知らずに犯す罪は大きい。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

 

 

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