文体というもの
いやしくも 「知のヴァーリトゥード」 はテキスト中心のサイトのつもりでいるので、ある程度は自分なりの「文体」というものも意識している。
私のサイトのテキストに、独特の文体というものがあるかといえば、多分「ある」のだろうと思うのである。
以前、アクセス解析の「リンク元」になっていた某 BBS で、私のサイトがまな板にあげられていた(ちなみに、同じ意味でも、私は「俎上に載せられていた」などとは、決して書かないのである)。 その BBS では、私のサイトは「語り口が鼻につく部分はあるけれど・・・」みたいな言い方をされていた。
こんなことを書くと、ますます「鼻について」しまうかもしれないが、「ふーん、なるほど、そういう感じ方もあるわけね」と、私はとても納得したのだった。そう思ってもらえるのは、案外ありがたい。「鼻につきもしない」よりは、ずっとマシである。
この「鼻につく」文体は、別に意識して作り上げたというわけではない。いつの間にか、こんな文体になってしまったのである。ある意味、こんな「鼻につく」文体で書いていると、自分自身がちょっと安心するのである。そして、時々どうでもいいことでしつこいのは、私の文体の特徴の一つである。
以前、某外資系団体で広報部にいたとき、英国から次々に送られてくるプレス・リリースを日本語に翻訳する仕事をしていたのだが、最初の 2〜3行を読めば、誰が書いたのかすぐにわかった。それほど、文章というのは「クセ」が出る。文体なんていうのは、要するに文章の「クセ」である。
私の文体は、基本的にはハードボイルド的にセンテンスが短いのだが、時々妙に長いセンテンスが混じり込むのは、当時、英国本部の広報担当に、関係代名詞のたたみかけで、ものすごく長いセンテンスを書くオネエチャンがいて、それを意地でも長いセンテンスのままで訳そうと試みていたことがあったので、その際の、ある種の「陶酔的心地よさ」みたいのものも知ってしまったからである。
ほら、長いセンテンスだってかけるでしょ。それでも、十数行にもわたる長々センテンスは、あまり好きじゃないなあ。
文章だけではない。カメラマンだって、カメラマン仲間の写真なら、どの写真が誰のものか、クレジットなしで明確にわかるという。なるほど、そんなものだろう。
つまり、文体にしても写真にしても、身に付いた「クセ」というのは、自分の身内なら、後ろ姿を見ただけでわかるというような、それはもう、ある意味 「身体的」 なものとも言えるのだ。
逆に、無理して作った文体というのは、やっぱりどこか不自然だ。春先の通勤電車でスーツ姿がどこか板につかないので、すぐに新入社員と分かるみたいなところがある。
それでも、書き続けている内に、いつの間にか「しっくりくる」のだ。新入社員の板に付かないスーツも、半年も着ているうちに体のクセがついてしまい、いい感じにヨレてしまうのと同じである。
ところで、最近私が注目している文体がある。「知のヴァーリトゥード」 からもリンクしている 「まこりんのわがままなご意見」のまこりんさんである。椎名誠の文章が 「昭和軽薄体」 なら、まこりんさんは 「平成軽薄体」 ともいうべき独特のものがある。それはとくに、彼の blog「まこりんのつれづれなる日々 in はてな」で、明確に示されている。
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