そもそも「分祀」って・・・
靖国神社における A級戦犯の「分祀」が話題になっている。(参照)
政治的な判断は別として、この「分祀」という言葉がテキトーに使われていることに、私は「ちょっと待てよ」と言いたくなってしまう。これをきちんと整理しないと、議論自体がナンセンスになってしまうぞ。
そもそも「分祀」というのは、軽薄な言い方だが、私としては「神社の支店を出すようなもの」と理解していた。Goo 辞書で調べてみても、「本社と同じ祭神を他所の新しい神社にまつること。また、その新しい神社」となっている。
「本社と同じ祭神」という記述にご注意いただきたい。つまり「分祀」というのは、「祀られる祭神」を分割するのではなく、社を分けるのだろう。その中身は同じなのだ。
例えば、全国に「住吉神社」は数多くあるが、祀られている主神は、同じ住吉大神である。別の主神を祀っているわけではない。住吉大神が、底筒男命、中筒男命、表筒男命の三柱の神の総称であるからといって、その一柱ずつを分けて別々の神社に祀ったら、それは「分祀」とは言わないだろう。
今回の議論は要するに、靖国神社に祀られる御霊の中から、A級戦犯のみを除外して、まったく別の神社(あるいは慰霊施設)を作って、そこに祀れということなのだろう。だったら、「分祀」という言葉を使うのは間違いということになる。
検索サイトで調べてみたら、靖国神社は既に昨年の段階で「分祀」問題に関して明確な見解を表明しているではないか。(参照)
あくまでも、政治的な判断から離れて、純粋に「分祀」という言葉に沿った議論をするならば、この靖国神社の見解で、完全にケリが付いていると思うのである。
だから、まともな議論をしたいのだったら、「分祀」なんていう言葉を使わず、「靖国神社はA級戦犯を祀るのを止めろ」と明確に主張しなければ始まらないのである。議論はそこからスタートする。
しかし、ここが大切なことだが、国は靖国神社を「一宗教法人」としているのだから、国の考えを押し付けるわけにもいかない。国としてこんな議論をすること自体が、「政教分離」の原則に反してしまうというジレンマに陥るのである。
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