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2005年5月17日

シャケ弁当とキノコ雲

昨日、平成 12年に取手周辺で起きた雹(ひょう)被害について書いたら、その 7年前に取手近辺で相次いで起きた事故について思い出してしまった。

それは、常総線の電車がブレーキ故障で取手駅ビルに突っ込んだ事故と、花火工場の大爆発である。

平成 5年 6月 2日は水曜日だった。私はいつものように東京都内のオフィスに出勤し、夕方、常磐線で戻り、取手駅に下車した。すると、なんだか様子がおかしい。騒然としている。

取手駅は JR 常磐線快速電車の終点だが、他に、日本一運賃が高いことで知る人ぞ知る存在の、常総線という私鉄のターミナルでもある。その常総線の電車(いや、電車ではない、ディーゼル列車だった)が、ブレーキ故障で停まることができず、取手のステーションビルに突っ込んでしまったという。

その事故は、朝、私が取手を出てから間もなくのことだったらしいが、私は帰ってくるまでそのことを知らなかった。インターネットで検索すると、以下のような記事がある。

関東鉄道常総線取手駅構内において、入線してきた上り列車 4両編成のブレーキがかからず車止めに激突、そのまま駅ビルに突入した事故。乗客 1人が死亡。原因はブレーキ故障で、非常ブレーキも一駅手前の西取手駅で作動させた後に適切な復元がなされず、常用・非常の両系統のブレーキが作動しなかった。

この後、ステーションビルはかなり長い間修復工事のため使用できず、不便な思いをした記憶がある。

しかし、この時の最も鮮烈な記憶は、「シャケ弁当」だ。取手駅を出たあたりの道端に、テレビのニュース・スタッフが大勢しゃがみ込んで、シャケ弁当をつついていたのである。

腹を空かせて帰ってきた私には、このシャケ弁当がやけに美味しそうに見えた。以来、大きな事故が起きると、私は反射的にシャケ弁当を思い出してしまう。

そしてその 2週間後、 6月 16日に私は有給休暇を取っており、何かの用事で取手駅近くに行った。その日は天気が良かったので、車ではなく、原チャリに乗って出かけたのだった。

国道 6号線を快調に飛ばしながら、ふと右側を見ると、間近に巨大なキノコ雲が見えた。一瞬、原爆が落ちたかと、背筋が凍った。「俺はどうして今、生きてるんだろう?」と思ったほどである。

帰宅してニュースを見ると、取手市の隣町、守谷の花火工場で爆発事故があったと告げていた。最終的に、死者・行方不明 3人、重軽傷 51人、周辺民家の全焼 10 、全壊 4など、合計 59棟に被害があった。

我が家でも「ドーン」という爆発音が聞こえ、ガラス戸がビリビリと震えたらしい。私はヘルメットをかぶってバイクに乗っていたので、爆発音に気付かなかったのだろう。

というわけで、当時の取手周辺の人たちは「常総線の事故といい、花火工場の爆発といい、一体、この辺りはどうしちゃったんだろうねぇ」と、漠然たる不安感を抱きながら語り合ったものである。

そして、私は 12年経った今でも、この一連の事故を思い出すたび、あのシャケ弁当とキノコ雲がありありとまぶたに浮かぶのだ。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

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