ニュースバリューということ
「犬が人を噛んでもニュースにならないが、人が犬を噛んだらニュースだ」と言われるが、自分のペットの犬を噛んだぐらいでは、決してニュースになんかならない。
ただし、町中の犬を手当たり次第に噛みまくったら、地方版ぐらいには載るだろう。ニュースとはそういうものである。
こうしてみると、ニュースになるというのは決して容易なことではない。
以前にも書いたことがあるが、1980年代に私がニューヨークで宿泊したホテルのロビーで起きた殺人事件は、翌日の新聞に載らなかった。当時のニューヨークでは、単なる殺人事件ぐらいでは、ニュースバリューは低かったのである。
他にニュースがなければ一面トップにもなるが、もっと大きな事件が起きたら、無視されるのだ。つまり、ニュースバリューというのは完全に相対的なものであるということになる。
私が繊維業界紙の記者をしていた頃、記者会見で発表された内容をごく普通にまとめた記事が、翌日の一面トップになって驚いたことが何度かある。反対に、時間をかけてじっくり取材した会心の原稿の扱いが、期待に反して小さくなってしまったこともある。他に大きな記事があったりするとそうなる。
新聞記者から某団体の広報スタッフに転職してからは、大きな発表をするときは、他に余計なニュースがないように祈ったものだ。満を持して発表したことが一面トップにならず、他の突発ニュースの影に隠れてしまったら、それはやはり悔しい。
逆に、不祥事が発覚した時などは、他に大事件が起きてくれるとその影に隠れることができる。そうした場合は情報公開の時期を意図的にずらすなんて姑息な手段を弄することもあるようだ。オリンピック開会式当日に不祥事が発覚したりしたら、まさに 「不幸中の幸い」 というものかもしれない。
ニュースバリューの話でよく取り上げられるのは、六代目三遊亭円生の死である。落語の世界では、円生といえば、今の円楽の師匠であり、、志ん生亡き後の昭和の大看板だった。
巡り合わせとはコワイものである。その円生の亡くなった日に、上野のパンダも死んだのだ。翌日の新聞には、「ランラン死す」の大見出しが踊り、そのずっと下の方に、「円生も」という小さな見出しがあった。
マスコミとは、この程度のものなのである。だから、「マス」でない情報発信を誰もができる時代になった今、独自の視点による価値判断というものがキーポイントになり得る。
分野を限定したニュース・メディアというのはいくらでもあるが、独自のきちんとした価値観で編集したメディアというのは稀だ。もしかしたら、新しいビジネス・モデルになるかもしれないのに。
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