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2005年6月 6日

クールビズの背景

「クール・ビズ」というのが、官公庁主導で進んでいる。今度こそ、あの暑苦しいスーツの呪縛から脱却できるだろうか。

戦後の日本人は、神を信じないで、スーツとネクタイを信じてきた。まさに 「信仰」 にまで高められたが故に、それを捨てるのに、こんなにまで抵抗があるのである。

しかしよく見てみると、日本のビジネス社会においても、スーツとネクタイがそんなにまで必要とされているわけではない。それらが 「必要条件」 である業種と、そんなものとはとっくの昔におさらばしてしまった業種とは、はっきりと分かれている。

スーツが必要な業種というのは、ある意味、社内での出世が大好きな業種である。銀行、商社、百貨店、その他諸々・・・。仕事そのものよりも、地位が上がることに喜びを見出すような業種の人は、とても仕立てのいいスーツを着るのが好きである。基本的には、顧客よりも自分たちの方がエラいと思っている人たちである。

一方、出世するよりも、現場で専門的な腕前を発揮することの方が楽しいといった業種、マスコミ、クリエーション、研究等々の人々、いわゆる 「プロフェッショナル」 は、昔からネクタイなんかしない人が多い。「エライ、エラくない」より、「デキる、デキない」を価値基準とする人たちといえばいえるかな。

いわば、「上昇志向のジェネラリスト」と、「掘り下げ志向のプロフェッショナル」の違いか。そして、スーツとネクタイは、ジェネラリストのシンボルである。

ある意味、日本のビジネス社会は「プロフェッショナル」を作らないような環境を作ってきた。エンジニアとして採用した人材をこともあろうに事務職にまわしたり、クリエーション現場と営業現場を行き来させたりといった無茶を、平気でしてきた。

一度入社してしまうと、どんな部署にまわされるかわかったものじゃない。これは日本の労働組合が企業単位であって、ユニオン制でないこととも関係している。そんなわけで、「社会に出て何をしたいのか」より、「とりあえず、大学さえ出ておけば」といった風潮にもつながったのだが。

そんなこんなで、日本のサラリーマンは、「つぶしの利く人」となるために、スーツとネクタイのヨロイをまとわなければならなかったのである。日本のビジネス社会の信仰とは、会社に都合のいい「つぶしの利く人材」でいることだったといっていい。

しかし、最近はやや様子が違ってきた。信仰は迷信と化し始めている。ようやく、「デキる、デキない」の世の中に近づきつつあるのかもしれない。

私だって、サラリーマン時代の最後の10年近くは、自主的にノーネクタイで過ごしていたのだが、それに対して誰も文句は言わなかった。「つぶし」なんか利かなくたって構わないと開き直ってしまえば、なんてことはないのである。

「エライ、エラくない」の基準から離れてしまうと、スーツとネクタイなんて、単純に邪魔くさいだけなのだ。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

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