投票と信心
溜まりに溜まった月末締めの仕事をこなすうちに、今日の一撃の更新を忘れるところだった。ようやく一段落付いたので、毎日更新の記録を継続させよう。
ということで今日は、政治と宗教について語ろう。別に政教分離とか、靖国とかではなく、フツーの日本人の心根の問題である。
いろいろなマスメディアが、都議選を前に世論調査をしているが、相変わらず、50%前後が「誰に投票するか決めていない」という解答で、断然トップである(参照)。 これは、各種の調査で「支持政党なし」という解答が 50%前後になるのと同様の傾向だ (参照)。
世界中の全ての国の事情を知っているわけではないので、言い切ることはできないが、こうした我が国の事情というのは、かなり特殊なことではあるまいか。私の知っている多くの国では、いい大人の半数が支持政党を明確にできないなんて、あり得ないことである。
大抵の大人は支持政党を明確にしていて、その上で少数の浮動層の動きとか、有権者の心変わりとか、失政に対する批判票の増加とかで、選挙の結果は決まる。半数以上が浮動票なんて、かなりわけのわからん国である。
そしてこの半数前後が「支持政党なし」というのは、ある統計と似通っていることに気がついた。それは日本人の宗教に関する調査結果である。
NHK 放送文化研究所の『放送研究と調査』 (1999.5) に、「日本人の宗教意識」というレポートが載っているらしい。ネットジャーナルQ というサイトの中に、それに触れたページがある(参照)。
それによると、日本人の宗教意識の調査では、「宗教を信仰していない」という回答が 56.4% に上っている。これも、共産圏を別とすれば、かなり異様な数字と言える。大抵の国では、自分はカソリックだとか、プロテスタントだとか、ムスリムだとか、信仰する宗教を明確にしている。
それに日本人の半数は「宗教を信仰していない」と言いながら、「年一回以上神様や仏様を拝んだり、祈ったりしている人は 10人のうち 8人いる。これは信仰する宗教の『ある』『なし』にほとんど関係ない」と報告されている。これは初詣などのお宮参りのことを指すのだろう。
信仰していない神仏を拝むとは、よくよくわけのわからん国である。しかしその奥を考えると、これは日本人の心根と関係のある話だとわかる。
日本人は、旗幟鮮明にすることが嫌いなのである。「私は○○党支持です」とか「私は□□宗の信者です」とか言うのを、あまり好まない。
日本人が抵抗なく帰属意識をもつのは、会社ぐらいのものだった。しかし、最近は会社への帰属意識も薄れている。
それでは、日本人は何に対して帰属意識をもつのか? それは「日本」という共同体に対してである。決して「国家」に対してではなく、「共同体」という幻想に対してである。この帰属意識はかなり無意識的であるだけに、とても強いものだ。
だからこそ、幻想共同体のシンボルである神社へのお宮参りには、「無宗教」のくせに、ほとんど抵抗がない。「無宗教」ではなく「日本教」だと山本七平氏が指摘したのもむべなるかなである。
幻想の共同体に対してどっぷりと帰属して、安穏に暮らしていられるのだから、それ以上細かいものに帰属する必要がないのである。「日本教」 の根本教理は「みんな一緒、以心伝心、お互い様」だから、あまり自分の事情を声高に述べて、軋轢を醸し出すことは避けたいのだ。
これが、民族の入り混じる大陸国家では、自分のアイデンティティを鮮明にしておく必要があるという事情との、大きな違いだ。
しかし、安穏に共同幻想に埋没していられるのも、そう長くはないぞ。「みんな一緒」という意識は、突き詰めるととても素晴らしい哲学ではあるのだが、そろそろ自分の立場をいうものも、しっかりと確認しておかなければならないと思うがなあ。
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