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2005年6月 5日

正しい認識とは?

「オイル・ピーク」という言葉がある。石油の産出量は近い将来ピークに達し、以後徐々に減少していくと予測されている。

このオイル・ピークがいつかというのは、諸説あってさっぱりわからない。最も悲観的な説は 2004年(昨年)だったし、果てはそんなものはないという説まである。

オイル・ピークが諸説あるのは、条件によってどうにでも変わるからだ。確かに原油の埋蔵量というのは有限だろうから、いつか必ずなくなる時がくるだろう。しかし、どの時点をもって「なくなった」と称するかは、まるであいまいだ。

石油というのは、地下の圧力によって湧き出してくるものらしい。だから、完全に枯渇しなくても、圧力が弱まれば湧いてこなくなる。そうなれば、人工的な圧力を加えてやらなければならず、それだけコスト高になる。

このコストが採算分岐点を超えてしまえば、「もうなくなった」というわけだが、採算というもの自体が、需給変化と技術革新でどうにでも変わってしまう。さらに「とても良くできた予測」というものが発表されれば、それに群がって投機筋が動くから、それでまた予測は狂う。

甚だしくは、油田はまだまだ発見されるし、既存の油田でも技術革新によってどんどん掘り出されるので、「オイル・ピークなんてない」と主張するものまである。たとえあったとしても、一方で代替エネルギーの開発も進むので、何の問題もないという楽観論である。

要するに、確かなことなんて誰もわからないのである。もう少しで筆(指?)が滑って「直前まで誰もわからない」と書くところだったが、よく考えれば、どの時点を称して「直前」というかすらもわからないのだ。

ことほど左様に、「正しい認識」というのは困難である。最期っ屁みたいに言ってしまうが、「正しい歴史認識」なんていうのも、戯れ言にすぎない。「妥当な歴史認識」ということにしても、議論する人の数だけあるだろう。それを一本にまとめようなんてことは、ナンセンスとしか言いようがない。

ある時期の 「正しい歴史認識」は、時代が変われば必ず糾弾される。「正しさ」が際立つほど、あっという間に正しくなくなってしまう。歴史はそんなことの繰り返しだったではないか。私は「正しい歴史認識」なんて子供じみたことは、恥ずかしくてよう言わん。

政治的立場、とくに共産主義的立場に立つと、どうしても公式的な「歴史認識」というものを必要とし、それに合わないものにステロタイプなレッテルを貼って攻撃するという方向に流れがちである。

だから、共産主義の世の中では、悲しいことにいつも「糾弾」の繰り返しだ。

我々は用もないのに政治的になってはいけない。「政治的」というのは、人間の意識の中でも相当ナンセンスなレベルのことをいうと思っていれば間違いない。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

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