宮仕えの「共犯関係」
昨日は岩手県の一関市まで日帰り出張した。(家にたどり着いたときには日付が変わっていたので、厳密には日帰りではないが)
帰りの東北新幹線はそれほど混んではいなかったが、3人掛けの座席を向かい合わせにして、酒を酌み交わしているサラリーマン 6人組がいた。見るからに窮屈そうだったが。
私はいくらグループ旅行でも、座席の向きをひっくり返して向かい合わせにするのは、あまり好きではない。なにしろ 6尺近い体だし、向かい合わせなんか、御免こうむりたい。夜遅い帰路の車内ぐらいは、ゆったりと座りたいものだ。
とはいえ、私は自分の好き嫌いを他人に押しつける趣味はない。だから、他のグループが座席を向かい合わせにしようがどうしようが、酒に酔って声高になるのを謹んでさえもらえればそれでいい。
しかし、私がここで一言文句を言いたくなったのは、この 6人グループのうち、対面座席の語らいを楽しんでいるのは、どうみても年かさの 3人だけで、若手の 3人は、仕方なく調子を合わせてはいるが、見るからにうんざりという風情だったからだ。(若手 3人は、年かさグループより大柄だったし)
3人ずつに分かれて座れば、年かさの 3人は並んで会話を楽しむことができ、若手の方はそれぞれ本を読むなり、寝るなり、自由にできたはずである。何も、座席を向かい合わせて、わざわざ窮屈な思いをすることはない。
しかし、日本のサラリーマン社会はそれを許さない雰囲気があるのである。多分、このグループは新幹線の車内に乗り込むなり、年かさグループが有無を言わせず座席をひっくり返して、ホームで買い込んでおいた缶ビールを若手にも当然の如く勧めていたのだろう。
日本の宮仕え社会に長く生きながらえたオジサンというのは、仕事が終われば、皆一緒に酒を酌み交わして下らない話をしながら、一種独特の 「共犯関係」 を構築、醸造するものだと思いこんでいる。それを望まない者がいるなどとは、夢にも思わない。
そして、この「共犯関係」があればこそ、ちょっとした不正や、ちょっとしたというレベルを超える談合なども、そんなに悪いこととは自覚されずに繰り返されるのである。
もう一つ、グループでの出張でホテルに泊まる場合の部屋割りも、これと根っこを同じくする。
欧米のホテルでは、グループ旅行者の泊まる部屋をバラバラに散らしてくれる。ところが、日本では 90%以上の確率で、連続した部屋を与えられる。
海外の展示会などに、グループ・ツァーで参加することがあるが、そんな場合、「どうしてこのホテルは、同じグループなのに、続き部屋を用意してくれないのかねぇ」なんて不満を言う人がいる。
とんでもない。同じグループだからこそ、あえて部屋が隣同士になんてならないように配慮してくれているのだ。
知り合いや同僚であるからこそ、隣同士の部屋でシャワーやトイレの音を聞かれたくないというのは、人情だと思うのだが、どうやら我が国では、そうした人情を越えた 「別の人情」 があるらしい。
トイレの音を聞き合うまでの、濃密な共犯関係が望まれているようなのだ。
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