慈悲喜捨
昨日の「一撃」で、実家が引っ越すことになったと書いた。とは言っても、引越し先は今の家の向かいに新築する家である。
現在そこにはかなり古いアパートが建っているが、それを取り壊し、土地を売りに出す。それをうちの父が買った。築 40年の今の家をたたみ、向かいの新宅に移るというわけだ。
移り先はほんの向かいだが、やはり、一切合財を移すのだから大変な作業になる。この際だから、物置にたまった何十年来のがらくたは処分しなければならない。
どんなものがあるのか、物置に入ってみると、子供の頃に見覚えのある棚やたんす、茶箱などがびっしりと積み重ねられている。いくつかの引き出しを開けてみると、見覚えのある洋服や着物が入っている。多くはもう使い物にならないから、捨てるしかない。
ところが、これらを一挙に捨てるとなると、思い出のあるものもあるので、ちょっと捨てにくい。親戚で最近引越しをした者の言うことを聞くと、捨てるときには、ちょっとでも考えてはいけないのだという。
ちょっとでも考えてしまうと、それにまつわる思い出がよみがえってきて、捨てられなくなる。だから、考える間もなく、次々に自動的に捨てなければならない。
捨てる一瞬間だけは、何かの感傷がわくかもしれないが、捨ててしまいさえすれば、そんなものはきれいさっぱり忘れてしまうのだそうだ。要りもしないもので貴重なスペースをふさぐことこそ馬鹿馬鹿しい。それを聞いてなるほどと思ったものである。
ところで、今日、物置を物色してみたら、珍しいものが出てきた。円筒形の書類入れに入った 「ガリ版用の原紙」 である。
といっても、最近の若い人は知らないだろう。ごく薄い和紙にパラフィンをコーティングしたもので、それの上から鉄筆でガリガリと書き込むと、そこだけパラフィンが取れてインクが通るようになる。それで 「謄写版印刷 = 別名 ガリ版印刷」 ということをするのである。
高校時代、ガリ版印刷でミニコミ誌を作っていたのを思い出した。その時に使い残した原紙が、30数年の時を経て現れたのである。
考えてみれば、このサイトにしても、その母胎はあのガリ版印刷のミニコミにあったのだ。
そう考えてしまうと、その原紙だって捨てられなくなる。しかし、ここは 「考えずに」 捨てなければならない。仏教でいうところの 「四無量心」 というのも、「慈悲喜捨」 である。慈悲を発揮し、他の喜びをわが喜びとし、そして、最後にはそれらをも捨てなければならないという。
モノとしての原紙は捨てても、そのスピリットは、このサイトに脈々と残そう。
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