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2005年7月 2日

花田家の相剋

今さらながら、花田家の兄弟のドタバタの蒸し返しを書かせてもらう。この愛憎劇は奇矯な普遍性を暗示しているように思うのだ。

単に「兄弟は仲の悪いもの」というレベルの話ではない。しかし、例えばギリシャ悲劇のオイディプス王の、父を殺し、母と姦通するというほどの凄みがあるわけでもない。

兄弟の仲の悪いのは、今に始まったことではない、神代の昔の海幸彦、山幸彦や、源頼朝、義経の時代から、そういうものなのだという人がいる。確かにそうは言えるが、花田家の場合は、どこかおもむきが違う。

花田勝氏、つまり三代目若乃花については、私は彼が現役時代から、その相撲の品のなさについて批判的だった。横綱のくせに正々堂々とした立ち会いをしない。それは、相手の呼吸を「はずす」などという立派なものではない。立ち会いに至るまで、卑屈なまでに呼吸を「はぐらかして」ばかりいた。

体格的なハンディを補うためといっても、それは大関までしか許されない態度である。仮にも横綱というのは、あのような見苦しいことをするものではない。

若乃花の相撲の品格を批判していた私だが、貴乃花の相撲については、文句の付けようがなかった。しかし、相撲では文句の付けようがなくても、人間としてはまったく魅力を感じなかった。それは今でも変わらない。

一緒に酒を飲んで楽しいのは、確実に花田勝氏の方だろう。貴乃花と酒を酌み交わすなんていったら、気詰まりでしょうがないと思う。

貴乃花という男は、「自分が正しい」と信じすぎている。頭の悪い証拠である。真面目で努力家で誠実でストイックな自分を一面的に愛おしむだけで、多面的な検証をするという甲斐性がない。昔から「正しすぎる奴」にろくなものはいないのだ。

世間一般の兄弟関係で普通に見られるのは、真面目で大人しい兄と、やんちゃな弟という設定だ。こういう普通の兄弟ならば、仲が悪いとはいえ、ギリギリのところで和解にもっていける余地がある。

ところが、花田家の兄弟の場合は、ちゃらんぽらんな兄と、妙に真面目すぎる弟という、世にも珍しい役どころなのである。このせいで、「兄弟は仲の悪いもの」という下世話な一般論だけでは割り切れない悲劇を形成してしまっているのだ。冒頭で「奇矯な普遍性」と言ったのは、このことである。

兄弟の相克というのはよくあるテーマだが、花田家の場合は兄弟の役回りが逆転しているために、名作悲劇にできるようなレベルの高い普遍性とは言い難い気がするのである。

今は週刊誌のおいしいネタになっているが、そのうちに、馬鹿馬鹿しくて付き合いきれなくなりそうだ。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

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