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2005年7月27日

杉浦日向子さんのダンディズム

杉浦日向子さんが亡くなった。私にとっては、大きなニュースである。昨日が自分の誕生日でなかったら、このコラムは一日早くアップロードしていたはずのものだ。

私は蕎麦が好きだ。七代目団十郎で修士論文を書いた。これだけで、私の中でのこの人の重要度は、かなりなものである。

一日遅れになってしまったので、通り一遍では追悼にならない。杉浦日向子という人について書かれなければならないことは、他のブログできっちりと書かれてしまっている。

仕方がないから、私としては、杉浦日向子ダンディズムという視点で書いてみよう。

彼女の著書 『ソバ屋で憩う』 には、「昼の酒」 についての一文がある。引用してみる。

東京のソバ屋のいいところは、昼下がり、女ひとりふらりと入って、席に着くや開口一番、「お酒冷やで一本」 といっても、「ハーイ」 と、しごく当たり前に、つきだしと徳利が気持ち良く目前にあらわれることだ。

(中略)

ソバ屋で憩う、昼酒の楽しみを知ってしまうと、すっかり暮れてから外で飲むのが淋しくなる。暗い夜道を、酔って帰宅するなんて、まったく億劫だ。いまだ明るいうちに、ほろ酔いかげんで八百屋や総菜屋を巡って、翌日のめしの仕入れをしながら着く家路は、今日をたしかに過ごした張り合いがある。

「にじよじ」という言葉を広めたのも彼女である。2時から 4時までの都会の時間帯。「昼食の喧騒が去り、夕刻すぎの呑み屋状態になる前の、ぽっかりとした昼下がり」のことを言う。

この時間帯に、ソバ屋で昼酒を飲むのを、彼女は淡々と楽しんでいたように思われる。だから、3時頃に「準備中」の札のかかるソバ屋が多いことを残念がっていた。私も勤め人を辞めてから、初めてそれがとても共感されるようになった。

「にじよじ」 という言葉から、私はレイモンド・チャンドラーの 『ロング・グッドバイ』 (長いお別れ) を思い出す。ペーパーバックでしか持ち合わせがないので、以下にあまり上等ではないが、私の翻訳で引用する。

「俺は夕方前に店を開けたばかりのバーが好きだ。店の中の空気はまだ涼しくて清潔だし、すべてが輝いている。バーテンダーは鏡を覗いて、ネクタイが真っ直ぐで、髪の毛がきちんとしているかどうか確かめている。俺は、カウンターの奥の小ぎれいなボトルと光沢のあるグラスを眺めながら、これから始まる時間について考えるのが好きだ。バーテンダーがその日の最初のカクテルを作ってパリッとしたマットに置き、小さく折ったナプキンを添えるのを見るのが好きだ。そして、それをゆっくりと味わう。静かなバーの夕刻の、最初の静かな一杯 − 素晴らしいじゃないか」

これは、この小説に出てくるテリー・レノックスというちょっと癖のある男の台詞なのだが、主人公の探偵フィリップ・マーロウは、"I agreed with him." (彼に賛成だ) と言っている。

共通しているのは、呑み助たちの喧噪状態になる前の、「のんびり」と「きりり」の匙加減がちょうどいい時間帯に、自分のペースでゆっくりと酒を飲むことだ。さしつさされつなんかとは無縁の酒である。

実はこれは、かなりわがままなことである。そのわがままを、さらりと通すのがダンディズムである。

杉浦日向子さんは、こうしたダンディズムをとても上手に通しておられた。お若いのに大したものだった。合掌

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

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コメント

こんばんは。

江戸情緒とは無縁の生粋の名古屋人ですが,杉浦日向子氏がほぼ同い年だったと知り,その早い死を残念に思っています。

昼間の酒のお話で,ふいに,昔短期間テキサスの田舎町に居たとき,リゾート地で豪華研修施設といった趣の所に迷い込んだときのことを思い出しました。

昼下がりで,バーには客はだれも居なかったのですが,女性の(正直余り酒のことは知らなそうな)バーテンさんが居て,こっちがレシピを言って「サイドカー」を作ってもらいました。

ダムでできた人造湖には「アラモ砦の戦い」のときの英雄の名前が付いており,その脇に建ったその施設からの眺めは,なかなか良かったです。

投稿: なも | 2005年7月27日 03:22

なもさん、おひさしぶりです。

試しに "Davy Crockett Lake" で検索したら、フィッシングの名所として出てきました。

http://www.state.tn.us/twra/fish/pond/famlake/davycrockett.html

アメリカって、こういう自然が豊富に残されているのがいいですね。
あまり自然に恵まれすぎているので、京都議定書なんて、ぴんと来ないのかもしれません。

アメリカ人は自然保護には熱心だけれど、それが地球全体の環境保護に結びつく発想をしないところがあるらしいです。

それから、ヨーロッパでもアメリカでも、田舎のバーテンダーは、ジン&トニックとマティーニとブラッディマリー以外のカクテルを知らないんじゃないかと疑っています。

投稿: tak | 2005年7月27日 11:05

tak様,別に湖はどこでもいいのですが,私の出かけた所は,Austin郊外のLake Travisでした。

「田舎のバーテンダー」の話ですが,テキサスの州都であるAustinの一番の繁華街付近にあった,そこそこのバーでも(一応ワインが専門のようでしたが),スタンダード・カクテルが通じなくて,「うーん・・・」と思ったものです。

投稿: なも | 2005年7月28日 23:05

レスが遅れまして、失礼しました。

>tak様,別に湖はどこでもいいのですが,私の出かけた所は,Austin郊外のLake Travisでした。

あれれ、そうでしたか。
Davy Crockett Lake で検索したらあったもので、てっきり早合点しましたが、よくみると、テネシー州の湖じゃないですか。
大変失礼致しました。

カクテルが通じないのは、ドイツのフランクフルトでも同じでした。
ニューヨーク、シカゴでは、さすがに通じました。

投稿: tak | 2005年8月 5日 22:49

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