ヤバヤバ弁証法
先月末、かの有名な「言戯」というブログの「ヤバイは案外楽しいかも」という記事にコメントを付けたのを思い出した。
最近、「ヤバイ」の新用法として「素晴らしい」とか 「メチャクチャおいしい」とかの意味で用いられることが、とくに若い連中の間で目立っている。このことに関する考察だ。
私はこの記事に対し、「この用法、十分に『あり』だと思います」 とコメントした。その根拠を、ここでより詳しく書いておこう。
「ヤバイ」の新用法に関連して、私は、他人に物を贈る際の「つまらないものですが・・・」という言い方を想起する。
多くの外国人及び単純外国かぶれの日本人は、「世の中に『つまらないもの』をもらって喜ぶ者などあるだろうか。日本人は謙遜にもほどがある」などと、極めて短絡的なことをいう。
しかし、新渡戸稲造の『武士道』にも書かれてあるように、本来これは、「あなたのような立派な方には、どんな高価な物もふさわしくない。だから、この品物の価値ではなく、私の心のしるしとして受け取って頂きたい」という言外の意味をもつ。日本人は、"モノ" より "人" の方を尊ぶのである。
「やばい」は、このシチュエーションとは逆で、「俺みたいな者には釣り合わない。危険なほど素晴らしすぎるぜ!」という意味合いになると考えられる。この「均衡/不均衡感覚」は、ある意味、日本語の伝統的なコンセプトではなかろうか。
上記のコメントには書きそびれたが、もうひとつ、名古屋弁の「いかんわ」という言い回しも連想された。
名古屋弁では、「とても美味しい」という場合、「どえりゃー うみゃーて いかんわ」などと言ったりする。これを極めると「でら みゃーてかんわ」になるらしいのだが。
「上田君の名古屋分析」 というページには、次のように説明されている。
「でら、おもしろくていかんわ」
「でら」=「非常に」
「いかんわ」: 本当にダメなわけではない。とてもいいとゆうこと。訳すと、「ものごっつおもしろい」となる。
この「いかんわ」という言葉のニュアンスは、「ヤバイ」の新用法と共通する点がある。もともとは否定的な意味を持ちながら、それを逆転させて、とても肯定的なニュアンスで用いているのである。
これも、ある種の「不均衡」感覚から発せられる言葉だと考えられる。通り一遍のレベルを越えた非日常的なまでの素晴らしさは、それまでの日常的な均衡を破り、一時的な不均衡感覚をもたらす。それ故に、「ヤバイ」 「いかんわ」と感じられるのだ。
ちなみに、「言戯」管理人、寿(とし)さんの相方(彼女)さんは、かなり強い名古屋弁の影響下にあるらしい(参照)。それゆえに、「ヤバイ」 「いかんわ」感覚は、既にかなり身近なものとなっているのではあるまいか。
「やばさ」を乗り越えてこそ、人は成長し、新しい均衡を得るのだろう。いい意味にしろ悪い意味にしろ、「ヤバイ」経験を豊富に積んだ人には、奥行きというものがある。
私はこれを「ヤバヤバ弁証法」と名付けたいと思うのである。
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