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2005年8月13日

鞍馬山異聞

京都の貴船・鞍馬で非日常的な一日を過ごして、夜中に戻ってきたら、関東は土砂降り。雷が鳴りまくっているではないか。

田んぼの中の近道を通ると、雷が光るたびに、実りかけた稲穂が浮き上がる。なるほど、「稲妻」とはよくぞ言ったものだと、妙なところで感心。非日常モードは継続する。

昨日の和歌ログにも書いたのだが、「京都の奥座敷」のハイキング、どうもコースの順路を間違えてしまったようだ。

叡山電鉄の始発駅、出町柳でもらったパンフレットをみると、終点の鞍馬まで行って、そこから鞍馬山に登り、鞍馬寺を経て貴船に降りるのがオススメになっている。

しかし、私は一駅手前の貴船口で降りて、貴船神社を参詣し、そこから鞍馬山に登って向こう側に降り、最後に鞍馬温泉の露天風呂で締めたいと考えたのだ。このコースだと、ぞろぞろ歩く家族連れをひっきりなしに追い抜くうっとうしさもないだろう。

ところが、知らないとは恐ろしいものである。貴船から鞍馬山への取っつきは、想像以上の急な山道だった。一泊出張分(モバイル PC 入り)の荷物を背負っていることもあり、たちまち滝の汗。京都の奥座敷の涼しい空気の中で、あんなに大汗をかくとは思わなかった。

やはり、鞍馬の方からダラダラと登り、最後に急坂を慎重に下りて、貴船の川床料理屋で一服というのが、一般的なオススメになってしまうのだろう。それに、鞍馬温泉に入りたければ、もう一度叡山電鉄に乗って一駅戻ればいいのだ。

というわけで、もし読者諸兄が、鞍馬・貴船を訪れるのであれば、素直に鞍馬から貴船に降りることをオススメする。しかし、私はへそ曲がりである。貴船の方から登ってよかったと、今でも思っている。

まず、貴船に着いたのが朝の 10時頃。有名な川床料理の店が、お昼時を前に、貴船川の流れの上に誂えた 「床」 の準備をしている。茣蓙を敷き、テーブルを誂え、周囲の木の蜘蛛の巣払いをしている。自然が豊かだけに、一晩で蜘蛛が巣を張ってしまうのだろうなぁ。

もとより、一人で川床料理屋に入って、昼メシに 5000円なにがしかの出費をするつもりは毛頭なかったので、同じ川床の光景をみるなら、旦那衆が贅沢している姿をみるより、料理屋の仲居さんがピシッとたすきがけをしてきびきび動いている姿をみる方が気持ちがいい。

貴船神社もなかなか素晴らしかった。聞けば、平安京の水源を護る神社であり、ひいては、日本中の水や雨を司る神様であるらしい。

おぉ、私がこの 30年来、出張先で傘をさしたことがないという晴れ男でいられるのは、こちらの神様のおかげもあったのか、ありがたや、ありがたやと、懇ろに参拝させて頂いた。巫女さんもきれいだったし。

大汗をかき、鞍馬寺を過ぎて由岐神社にさしかかると、女の人が一人参道に倒れていて、連れの若い男が必死に介抱している。通りがかった人がケータイで救急車を呼んでいる。

私も心配になってのぞき込んだら、呼吸は普通にしている。初めは白目を剥いていたのだが、だんだんと黒目が戻ってきた。しかし、なんだか尋常ではない。

突然、連れの男が「僕もよくわからないんですけど、こういうところだから、何か霊の関係があるのかもしれない」なんてことを言い出した。どうやら、前にもこんなことがあったようなのだ。

難儀なことである。私も何人か知っているけれど、憑依しやすい体質の人っているのだ。これって、胃弱とか、便秘とか、高血圧とか、そんなのと同じく、体質みたいなもののようなのだ。体質改善した方が、日常生活には楽だと思う。

そうこうしているうちに、麓の方から救急車のサイレンが聞こえ、参道にさしかかってからは、さすがに周囲に気を遣ってサイレンを消して登ってくるのがうかがわれた。

そんなこんなで、非日常の一日を鞍馬温泉の露天風呂で締めくくって、関東に戻ってきたのであった。戻ったところが旧盆の真っ直中。非日常モードは終わっていないが、私は京都で一日遊んでしまったので、お盆どころではない。

で、今日も、サービス画像を少し。

 

 

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

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