京都旅情
今月の中頃、京都に出張することになった。仕事そのものは半日で済むので、日帰りで十分なのだが、何しろ相手は京都である。半日で帰るというのは、いかにも惜しい。
昨年の夏も、京都に日帰り出張したのだが、夕方の新幹線のホームで、なんとなくもったいない気がしたのを覚えている。
中学校あたりから、あちこちほっつき歩くのが好きだったが、本格的な一人旅をしたのは、高校 3年の夏休みに京都に行ったのが最初である。
その旅は、大学進学を控えて、東京の大学というものを直接見てみるのもいいだろうということで、親が旅費を出してくれたのである。宿泊は、東京在住の親戚宅 3軒に順番に泊まった。
この時に親が旅費を出してくれたのは、東京の往復までである。しかし、私は帰郷予定の日に、何の気まぐれか、上野駅から酒田に向かう特急の切符をキャンセルして、東京駅から京都に向かう新幹線に飛び乗ってしまったのである。
何しろ金はないから、まともな旅館やホテルには泊まれない。最初の夜はドヤ街の簡易宿泊所(一泊 420円ぐらいだったかなあ)に泊まったが、それももったいない気がして、2泊目は同志社大学だったかの学生寮に泊めてもらった。
今はどうだか知らないが、当時、大学の学生寮は、夏休みの間ガラガラになるので、貧乏学生を泊めてくれたのである。しかし、学生運動活動家が青臭い議論をふっかけてくるうっとうしさに耐える必要があった。
それで、3日目の夜は京都駅ででごろ寝し、翌朝、鈍行列車を何本か乗り継ぎ、24時間以上かけて家に着いた。さすが若さである。ちっとも疲れなかった。ただ、帰ってから、せっかく京都まで行ったのに、どうして大阪で開かれていた万博に行かなかったのだと、周り中に言われた。
70年の大阪万博は大変な反響で、連日大入りが報道されていたのである。しかし当時の私は、そんな官製イベントなんて無視するのが 「カッコイイ」 ことだと信じて疑わなかったのである。
大学時代にも何度か京都に行ったが、まともなホテルや旅館に泊まったことはない。何しろ、新幹線にすら乗らなかった。鈍行列車の乗り継ぎか、ヒッチハイクである。行く度に何らかの出会いがあって、泊まる場所はなんとかなった。いい時代だった。
思えばあれから 35年、仕事では何度も京都に行ったが、その度に時間に追われ、街をゆっくり歩いたことがない。今度の出張では、仕事を終えたらどこかに一泊して、翌日はゆっくり一日かけて京都の街を歩いてみるのもいいような気がしている。予定の調整がうまくいくといいのだが。
ただ、京都の夏は暑いだろうなあ。
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