夫婦間の理解不能な言葉のやりとり
ドイツの外国語辞書の出版会社がこのほど、男女間のコミュニケーションをより円滑なものにするための辞書を発売した(参照)。
カップルでの買い物の時、男性が「それ似合わないよ」と言うのは、「高すぎる」という意味、「それ買いなよ」は、「もう帰りたい」という催促、などと紹介しているという。
出版元のランゲンシャイト社によると、男性は日常生活で、女性の半分程度しか言葉を発しないのだそうだ。このため、男女間の理解が困難になりがちなのだというのである。
この辞書では、「太って、醜くなっても、愛してくれる?」や「どうして私を好きなの?」、「今、何考えているの」などという質問は、決して男性にしてはならないと主張している。これらの質問は男性にとっては、理解不可能だからだ。
なんとなくわかるような気がする。幸いにして、私の妻はこんな意味のない質問を発しない。
しかしさらに言えば、私にとって理解不能な質問に、「夕食、何を食べたい?」というものがある。
「何を食べたい?」と聞かれると、あまたある食べ物の中から、何か一つを選択しなければならない。それだけでも気の遠くなるような作業なのに、その選択結果が、何らかの説得力をもつものでなければならないと考えてしまうのだ。勘弁してもらいたい。
そんな膨大な選択をするのは手に余るので、「何でもいいよ」と答える。すると、妻はダメ押しをしてくる。「本当に何か食べたいものないの?」
気持ちはよくわかる。亭主の食べたいものを料理してあげようというのである。ありがたい情愛である。もったいないほどのことである。しかし、その選択をこちらに投げられると、私としてはあまりにも負担なのである。
第一、私は今冷蔵庫にどんなものが入っているかも把握していない。私が場違いなものを食べたいなどと口走ったら、今現在、冷蔵庫にある食材の使い道がなくなって食べ頃を逸し、さらに、妻は改めて買い物に行かなければならなくなるかもしれないではないか。そんな無駄は避けたい。
結局、私のリクエストはいつでも同じことになる。「今、冷蔵庫にあるもので、適当にお願い」
しかし、妻は追及の手を緩めない。「いろいろ入ってるから、何でもできるわよ」
ああ、死ぬほど面倒なことになってきた。「じゃあ、もうすぐ賞味期限の切れそうなものから、適当に組み合わせてみて」
この返事以外に、どんな有効な選択肢があるというのだ。私には到底思いつかない。
すると、妻にはその答えが非常につまらなく、味気ないものに思えるらしい。せっかく腕によりをかけて料理してあげようという気になっているのに、夫は、なんと艶消しなことを口走るのだ。あまりにも情愛に欠けるのではないか。
とんでもない。私は妻を愛しているのである。だからこそ、ことさらに注文なんかつけない。出されたものは、どんなものでもありがたく受け入れ、おいしくいただく準備は、いつでも 120%できているのである。
これ以上の愛情表現がどこにあるというのだ。
しかし、それが妻には理解不能であることも、私はきちんと理解している。それだからこそ、「夕食、何を食べたい?」などという、私にとって理解不能な、途方もない質問は、どうか避けてもらいたいと願うのである。
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コメント
あまりの面白さに、おもわず笑ってしまいました~庄内さんの言い分も、奥様の言い分もどちらも分かります。女の立場からすると、男性は言葉が足りない、いざという時さえも無口(笑)
「夕飯、何を食べたい?」と訊かれてまごついている庄内さん。なんだかとても想像できます(^^
投稿: 千軒町 | 2005年8月 9日 11:14
千軒町さん、暖かいコメントをどうもです ^^;)
最近は、「賞味期限のもうすぐ切れそうな・・・云々」 といった返事をすると、娘たちまでが、「お父さん、そんな言い方ないでしょーよぉ」 と、責めるのです。
あぁ、やっぱり、娘たちも女の論理なのだね。(当たり前だけど)
投稿: tak | 2005年8月 9日 18:07
オトコは とか 女から見たら なんていう言い方は、私は良いと思いません。くくりがあまりに大きすぎて。。
私は、性格が中性的とか女性的とかよく言われます。最右翼の「オトコらしいオトコ」が享受する利益は私にはあまり縁がありませんが、他の男性が気づかない気づきによって、周囲の男女から愛されることが多いです。
夫が「どんな家に住みたい?」と聞く。妻が「建てやすい範囲で適当に建てて」なんて応えたら、悲しいお話ですね。
今日はどうしてもシチューが食べたい なんて、はっきり要求を出せるオトコのほうが、大多数のオンナにとって、頼られてる感覚や、してあげたい感情を刺激されて、好まれるようですよ。
もう~わがまま!なんていいながら楽しく作ってるんじゃないでしょうか?
投稿: まる | 2005年8月10日 13:16
うーん、
どうしても食べたいものが、すっと出てくるなんてのは、
月に一度、あるかないかなんですよ。
決してどうでもいいってわけじゃなくて、
そりゃあ、美味しいものが食べたいんですが、
出されるものは大抵何でも美味しいんで。
もう、本当に、Anything OK ってわけで。
投稿: tak | 2005年8月11日 01:11
しつこくてすみません。
私もそういう時期があったのでお考えは分かるのですが、
答え方として「なんでもいい」は工夫の余地があるのでは?というご提案です。
私は理解できない って締めくくったら、それこそ前頭葉お休みじゃないですか(^^)
たとえば奥さんの料理を適当に3つ思い出して、いまならその3つのうちどれがいいか
こんな適当な選択で返事をしても、「なんでもいい」よりは奥様を1000倍楽しくやる気にさせる返事でしょう。
理解の努力をする余地が残っていることに感謝ですね♪
私のアプローチは庄内さんに合わなさそうなのでコレでおいとまします。
投稿: まる | 2005年8月11日 12:45
まろさん、
しつこいなんて、とんでもない。
>私は理解できない って締めくくったら、それこそ前頭葉お休みじゃないですか(^^)
うーん、前頭葉はフル回転なんですけどね。
フルj回転させた結果として、「これは 『理解不能』 事項として、お互い認識しあった方がいいのではないか」 と、いう次元にまでで高まってきたというべきか。
ある程度までは理解できる。
しかし、相手の思い込みと同じレベルまでは、どうしても到達できない。そこまでの共感はできない。
だったら、別に無理して歩み寄ろうなんてしなくてもいい。無理したら、どこかでひずみが出る。
そうした事項も、お互いの間にはあるんだという、そのことをきっちりと認識し合おうと、そういうことに、今、私と妻は思い至っているわけです。
我々夫婦は、総論的にはかなり価値観を共有しているのだけれど、各論的には、お互いに、「いったい、何をそんなにこだわってるのだろうか?」 と思うことがいくらでもあるわけです。
そういう事項には、あまり深入りしない。押し付けない。そういう了解が、ようやくできてきているわけですね。
だから、妻は近頃、「何を食べたい?」 という質問に 「何でもいい」 という答えが返ることに関して、「そうよね、あなたはそういう人なのよね。それでこそ、私の夫なのよね」 と、認めてくれるわけですよ。
ようやく、そこまで到達したというか。夫婦間の相互理解が、「喜捨」 レベルまで高まったというか。
それは、私にとってもあることで、私がとてもこだわっていることに関して、妻が冷淡なまでに無関心だったりするということは、いくらでもあるわけです。
だからといって、私は、妻になんらの強要もしないと。こんなことにはまったく無関心であるからこそ、私の妻なのであると。
他で素晴らしいことがいくらでもあるから、いいではないかと。
まあ、そういうことなのでありますね。
投稿: tak | 2005年8月12日 00:23