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2005年8月 3日

段落の表記

Rtmr さんが、「段落」について論じておられる。「段落初行一字アキ」原則を守った表記が、ネット上では少数派になっていることについてだ(参照)。

私も、ご覧の通り、行頭を一字下げるなどという原則はすっかり無視してしまっている。これにはいろいろな要素が絡まっている。

手っ取り早く言ってしまえば、Rtmr さんが次のように書かれていることに、私も全面的に同意する。

空行をはさまずに段落を連ねたり、意味段落と形式段落の使い分けにこだわるのであれば、字下げをするしかないだろう。だがそうでなければ、どちらでもよいのではあるまいか。そこに段落が存在することが分かればよいのである。

そもそも、日本語の文章にはもともと段落ごとに行頭を一字下げるなんていう風習はなかった。古文書を見れば一目瞭然。グニャグニャの草書体と変体仮名で、字の大きさだってテキトーなものである。

あんなものをよく読めたものだと思うのは、活字文化に慣れた近代以降の人間の感覚で、江戸時代の人間からは、現代の活字は味も素っ気もないつまらないものに見えるだろう。

段落ごとに行頭を下げるのは、多分ヨーロッパ言語圏における表記習慣の影響だと思う。私も、英語で文章を書く必要があった頃の初期には、段落を変えるごとにタイプライターのスペースキーをダダダっと 5回ほど打って、行頭を下げていた。

ところがある時期から、手元に廻ってくる英語の文書に、行頭を下げないものが目立って増え始めた。その代わり、段落を変える場合は、1行分空けてある。このスタイルの文書を初めて受け取ったとき、私は、「これは読みやすい!」と感激したのを覚えている。

英語というのは、今や英語を母国語とする国民だけの言語ではない。事実上、世界共通語である。その世界共通語を、ネイティブ・スピーカーでない人間にも読ませるには、見た目の「読みやすさ」、もっと言えば、「読み取りやすさ」 が求められる。

段落ごとに 1行空けるという表記は、「読み取りやすさ」を大幅に向上させる。そして、1行開けることで段落が明確になるのだから、わざわざ行頭で字下げをする意味合いはなくなったというわけだ。行頭がでこぼこするより、揃っている方が見た目にもきれいだし。

さらに、インターネットの時代になると、段落ごとに 1行開けることの意味合いはますます大きくなった。PC のディスプレイに表示される文章というのは、紙に印刷されたものと比べて、明らかに読みづらい。ネイティブでも、エイリアンに近くなってしまう。

だから、今や 1行空きの段落は、インターネットのデフォルトとみていい。他のソフトではどうだか知らないが、私の使っている Dreamweaver では、改行キーを押すと、自動的に <p> と </p> でくくられて、1行空きの段落として表示される。

インターネットのユーザビリティを論じたサイトの多くでは、段落は 5行以上続けると、とたんに読みづらくなるとされている。私は 5行でも長すぎると思っていて、自分のサイトでは、できるだけ 3行ごとに改行して、1行開けることを心がけている。

これは、意味段落だの形式段落だのという問題ではなく、単に「読み取りやすさ」の問題である。

多分、同じ文章を紙に印刷するとしたら、段落はかなり修正しなければならないだろう。そして、当然にも、段落ごとに 1行開けたりはしない。そのかわり、行頭を 1字下げる。インターネットと同じ表記にしたら、かなり紙の無駄遣いになる。

最近の通俗マーケティングでメシを食っている先生の中には、1行程度で段落を変えながら、理屈ではなくリズムでたたみかけるというスタイルも、かなり多く見受けられる。これなんかは、あんまり行きすぎだと思ってしまうのだが。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

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