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2005年9月18日

年寄りの生き死に

「昭和37、38年ごろ、ふらっと外出したまま帰って来なかった」というばあさんが、戸籍の上だけで年齢を重ねて、110歳になっていた(参照) とは、ちょっとなんだかなあ。

「そうか、その手があったか!」と膝を打った人もいるんじゃなかろうか。死んだことにしなければ、年金は、ずっともらい放題だ。

それは冗談として、マジな話、これって常識で考えれば、かなり「ヤバイ」匂いがしてしまう。ニュースでは、区役所の「ずさんな調査」ばかりがやり玉に上がっているが、そんなことより、東京オリンピックよりも前に、当のばあさんがどうなっちゃったのかが問題だろう。

荒川区の昭和 30年代といったら、下町の人情がまだまだ健在だった頃だ。「ふらっと出かける」ぐらい足の達者なばあさんの姿が見えなくなったら、近所で不審がられない方がおかしい。

それでも 40年以上もばれなかったなんていうのは、やはりちょっと変だ。もう生きてはいないと考えるのが自然だろうが、それらしき死体も出ていないとなれば、どこかに計画的な意図があったと疑っても、あながち悪意ともいえないだろう。

とにかく、役所がズサンだったという前に、年寄りの生き死になんて、隠そうと思えば隠せる世の中だというのが、ちょっと寒い。

世の中には寝たきり老人というのがいて、私の田舎の母もその一人なのだが、彼女は日当たりのいい部屋で、一日中ニコニコしたり、ウトウトしたりして、父に声をかけてもらっている。

頭はかなりぼけてしまったが、来客があればいつも顔を合わせてもらう。調子のいいときなら、それが誰かぐらいはわかっているようで、うれしそうな表情をする。その顔を見ると、こちらもうれしいのである。

ところが、世の一般の寝たきり老人は、「隠しておかれる」傾向が強いと聞く。日の当たらない部屋で、食事と下の世話以外は放っておかれることが多いらしい。不憫なものである。

このような状態で、近所でもいるのかいないのか、はっきりとは知られていない老人の消息を、ある時突然「数年前にふらりと出て行ったまま」なんて、とぼけられたら、役所としては手の下しようがないではないか。そんな例が増えないとも限らない。

こんな風潮が続いたら、団塊の世代が 70代後半になる頃には、生きてるんだか死んでるんだかわからない年寄りばかりになってしまうぞ。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

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